昨年、少し遠出をした時にどの地域だったか、車窓から「忌中」の張り紙をしている家が見えました。
「忌中」、なんだか懐かしく感じるほど、そういえば身近では見たことがないなと思いました。
たぶん、高校生まで暮らした地域で見たのが最後かもしれません。
「忌中」ってどんな意味だろうということさえよく知らないままでした。
家族が死んだ時、家人が慎んでいる期間。特に、死者が宙をさまよっているといわれる。死後49日間。(weblio辞書より)
3年前に父が亡くなった時も、「忌中」という言葉さえ浮かんできませんでした。父の死を言葉で表現するまでに2ヶ月ほど必要でしたが、それ以外はいつもどおりの生活でした。
どちらかというと献体という仕事に向かったという感じでしたから。
「家人が慎む」という言葉さえ何を意味するのか、よくわかっていません。
3年前もすでに家族葬の小さな葬儀がごくふつうに行われるようになっていましたが、今年は未曾有の感染症拡大のために、今まで考えたこともないような映像での葬儀が出現しました。
亡骸を葬ることはこんなにも社会の中で重要なことなのかと、こうした非日常の雰囲気に居心地が悪く感じる私自身の気持ちとの違いに戸惑いました。
自粛期間中は都内の人のいないひっそりとした場所を散歩したのですが、水のそばに寺社がある静かな場所がけっこう都内にあります。
通りかかったお寺に何気なく近づいたら、「樹木葬」のチラシがありました。
それ以来お寺のそばを通る時には気にしていたら、あちこちのお寺にありました。
「永代供養」「宗教不問」「後継者不要」で、一人数十万円のようです。
ヒトはこの世のあとの居場所におさまるまでを、生前から責任を持って準備しておかなければいけないので厄介ですね。
でも、この樹木葬に惹きつけられました。
散歩をして気に入った場所にあるお寺の一角を選んでおこうかなと、予定通りの人生になるかどうかはわからないのですけれど。
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