昨年、成田線に乗った時鹿島臨海工業地帯の工場群が対岸に近く見えたことが意外に感じました。
その後、鹿島線に乗った時にも工業地帯が近くに見えながら通過しました。
あの辺りを歩いてみたいと思い始めたのですが、地図で見るとその太平洋に面したまっすぐな海岸線は車しか交通手段がなさそうでした。
どうしてまっすぐなあの場所に鉄道がないのだろう。そんなことを考えているうちに、鹿島灘の砂丘の開発について耳にしました。
そしてその記事に、settu-jpさんが「戦前の鉄道は兵站の役割もあり、あまり海に近いと敵からも攻撃を受けやすいため、内陸部に作られることもありました」とブックマークにコメントをくださいました。ありがとうございます。
病院がどこに建てられたかと同じく、近代史では外せない視点かもしれませんね。
なんとしても見てみたいと地図を穴があくほど眺めていたら、銚子から鹿島神宮まで路線バスがありました。まっすぐ、まっすぐ、「砂丘地帯」を貫いているかのようなルートです。
数日後には、銚子駅からそのバスに乗ったのでした。
広大な工業地帯のどこを歩くか見当もつかないので、最初に神栖市歴史民族資料館に立ち寄りました。
入り口を見て、意表を突かれました。
資料館の周囲に水が張られていて、正確になんと書かれていたかは失念しましたが「水の街」のようなことがアピールされていたのです。
え?砂丘なのになぜだろう。
やはり百聞は一見にしかずを実感した散歩の始まりとなりました。
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