地図を眺めながら散歩のコースが決まりました。
小田急線で海老名駅へ行き、そこで相鉄線に乗り換えます。今まで相鉄線は眺めていただけで、初めて乗りました。小田急線の沿線風景とも違い、小さな丘と川が流れるちょっと複雑な地形でした。
二俣川駅から西谷駅までは、新幹線からは小さな川の周囲に水田や畑が広がっている場所あたりではないかと思う風景です。
神奈川県というと小田急沿線か東海道本線沿線の風景のイメージですが、似ているようで、やはり地域によって特徴がありました。
*横浜水道記念館*
上星川駅で下車し、横浜水道記念館に向かいました。駅のそばを帷子川が流れています。Wikipediaの「帷子川の名称の由来」には、「片方が山で、片方が田畑であったため」と書かれているように、川を渡ると急な坂道になっていました。
小さな川ですが、水量は結構あるように見えました。「治水」にも「元々は暴れ川で水害の多い川」だったようですし、現在は地下分水路もあるようですが、その川の歴史を読むだけでももう一度歩いて見たいと思わせる川でした。
地図では高低差がわからなかったのですが、横浜市内の駅のそばだからとたかをくくっていました。
浄水場と水道記念館へは、見上げるような上り坂を歩くことになりました。
2ヶ月前ですから、まだ気温が30度を超えていて、水道記念館にたどり着いた時には汗が滴り落ちるくらいでした。
Wikipediaの横浜水道記念館に、「高台に立地しており、4階の展望室からは、晴れたにひは宮ヶ瀬ダムや東京スカイツリーまで望むことができる」とありますが、小高い山の上に登りきった時には風が心地よく、横浜ベイブリッジのあたりも少し見えました。
館内には明治初期の横浜の中心地の水道から、相模川から取水し広域水道へ、そして現在の宮ヶ瀬ダム・城山ダムから神奈川全域の水道になるまでの歴史がまとめられていました。
*水道道を歩く*
地図で水道道をたどって行くと野毛山公園に突き当たりました。野毛山というくらいですから、高台になっているのだろうと推測できます。
もしかすると、やはり高台にある西谷浄水場から落差を利用して野毛山の高台まで送水し、野毛山からさらに横浜の中心地へ水を落とすように送水していたのでしょうか。
さて、西横浜駅までもそう遠くなさそうでしたし、野毛山公園までも1時間弱の散歩を見込んでいたのですが、横浜水道記念館までの上り下りだけでちょっと足がガクガクしてきました。
しかも夏を思わせるようなお天気で、帷子川に沿って西横浜まで歩いた時には休憩したくなりました。それであのイートインに立ち寄ったのでした。
そこから野毛山に向かって、また急な坂道になりました。ああ、休憩しておいてほんと良かった。
Wikipediaの水道道路によれば、「1887年(明治20年)の横浜市水道を皮切りに各地で近代水道が整備されるようになる」とありますから、日本初の水道道を歩いた散歩になりました。
これまでも神田上水沿いや荒玉水道あるいは井の頭通りを歩いて、少しずつ水道の地図が頭の中に描かれてきました。
次はどの水道の道を歩きましょうか。
「散歩をする」まとめはこちら。