今年2月に木曽三川から紀伊半島をまわったことから、川と海をひたすら見る散歩にはまっています。
その時にふと名古屋まで新幹線はいくつの川を渡るのだろうと思い、川の名前を書き出してみました。
大きな川から、パソコンの地図を最大に拡大しても名前がわからない小さな川や用水路まで、80箇所ぐらいはありました。実際にはもっとあるのかもしれません。
あのソマリアで森や水の少ない風景に気持ちが削がれたように、日本というのは水の豊かな土地だとあらためて感じました。
名古屋までの川の数を数えて以来、どこかへ遠出する時には通過する川の名前を行く前に書き出しています。
列車ではあっという間に通過し、スマホの地図と見比べている間に風景は次々と変わってしまいます。スマホを操作して確認する時間も惜しいので、アナログな方法ですが紙に書き出したものを持って歩くようになりました。
駅を通過すると、次は何川だとか、大きな水路があるはずと心の準備をしながら川を眺めています。
*茨城の沿岸部は大きな川が少ない*
茨城県には利根川と霞ヶ浦を始め大きな水色の箇所がたくさんある割には、沿岸部には川や用水路がほとんどないことに大洗鹿島線の風景から初めて知りました。
そして現在の緑も、半世紀ほどの植林によるものだとつながりました。
日本は津々浦々、川や用水路が広がって水田を中心にした風景だというのはイメージに過ぎなかったのでした。
沼なのか、川なのか、はたまた海なのか混沌とした地形だったものが、利根川の付け替えによって川と土地の境ができた反面、水の流れない場所もできたということでしょうか。
水戸を過ぎて那珂川と久慈川を越えると、そこから北茨城までの海岸沿いの地図にはほとんど大きな河川が描かれていません。
航空写真で見ると、久慈川を越えたあたりから海岸線の平地部分は少なくなり、山が仙台の手前まで続き、その辺りから阿武隈川、名取川、広瀬川といった大きな河川と平野が広がっています。
これが浜通りの意味なのかと閃いたのですが、その歴史を読むとそう簡単ではないようです。
*太平洋が広がった景色だった*
地図だとこの辺りから常磐線は海沿いを通っています。ところが案外、こういう場所は自然堤防に阻まれて、海は見えないことがこれまでもありました。
久慈川の河口のそばを通過すると、岩肌の多い小高い場所へと上がって行きました。
その岩肌を削って、墓地が作られていることが印象に残りました。
日立のあたりまで予想とは違って太平洋が見えました。航空写真ではわかりにくいのですが、海岸線は高くなっているようです。
住宅や工場が続き、川や田畑がほとんどない風景が続きます。
高萩を過ぎたあたりから、あの南三陸町から気仙沼までの風景のように、小さな川の河口でも堤防のかさ上げ工事が行われていました。
磯原の手前に大北川があり、このあたりから、すぐ近くに迫る山の合間の谷津に水田が作られている風景が時々車窓に見え始めます。
途中で「塩田川」という川もありましたが、山と海岸が近過ぎて、海水が水田に入ってしまうのかなと想像するような地形でした。
途切れ途切れでも、太平洋の大海原を感じ続けられる沿岸部の風景でした。
それにしても、なぜこの地域には大きな河川がないのでしょうか。
いつかその答えにたどりつけるといいのですが。
ちなみに水戸から仙台まで、小さな名前のわからない川も含めて40本くらいでした。
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