水のあれこれ 293 琵琶湖と膳所城

ほんの数年ぐらい前までは、湖というのは大きな水たまりぐらいにしか思っていませんでした。

 

2019年に諏訪湖には31の河川が流入するが流出河川は天竜川のみであるということを初めて知り、湖について何も知らないままできたことにガツンと殴られた気分になりました。そして猪苗代湖安積(あさか)疏水をはじめ高い場所にある湖の水を利用する疏水が気になり始めました。

 

2020年1月には琵琶湖を一周したい、琵琶湖疏水もみてみたいと出かけ、3月には琵琶湖の唯一の流出河川である瀬田川をみてみたいと出かけました。

東海道新幹線のE席からは、瀬田川の始まりのあたりを見ることができます。いつかその先の琵琶湖が漏斗状になった場所もぜひ歩いてみたいと思っていました。

 

 

2020年に初めてJR大津駅で下車した時、駅前から琵琶湖へと急な下り坂になっていることに驚きました。地図で想像していたのは平坦な湖畔でしたから。

 

瀬田川の歴史をたどるうちに、唐橋のあたりで琵琶湖の水位が+3.76mまで上昇したこともあるなど琵琶湖でも洪水が起こっていたことを知りました。

昨年夏には琵琶湖北岸で淀川水系の水源である高時川の氾濫のニュースがあり、琵琶湖を含む淀川水系の上流から下流までの治水の歴史を実感することになりました。

 

その唐橋から2~3km上流の琵琶湖湖畔に、京阪電鉄石山坂本線膳所本所駅の近くに膳所城があります。このあたりはどんな地形で、なぜそこにお城があるのだろうと気になっていました。

 

 

膳所城へ*

 

三井寺駅を出てしばらくすると左手に真っ青な琵琶湖が見えました。本当に美しい湖ですね。

奈良盆地が周囲のどこからも見えるように、琵琶湖も一周どこからも見えるのがなんとも羨ましい風景です。

 

16時4分膳所本町駅に着きました。ここで初めて目指している場所は「膳所(ぜぜ)」と読むことを知りました。日本語はほんと難しいですし、読み方を知らなくてもなんとかなるのもちょっとこわいですね。

 

駅前は細い道ですが交通量が多く、下校する高校生もたくさん歩いていました。そばに膳所神社の広い境内があり、御由緒に「大膳職の御厨神」と書かれていました。汁守神社をふと思い出したのですが、食べ物に関連した神様でしょうか。

 

近所の鰻屋さんから煙と香ばしい香りが漂っていて、店先には佃煮もありました。

その先が緩やかな下り坂になって膳所城址公園が見えてきました。疲れも出てきたので下を向いて歩いていたら、なんと歩道の縁石の隙間に群生といってよいほどずっと淡い紫色のタチツボスミレが咲いています。また元気が出ました。

 

公園の周囲に、堀というよりは水路があります。門をくぐり公園内に入るとけっこうな人が散策していました。

目の前には琵琶湖が広がり、すぐそばに近江大橋が通っています。

崖の上のような場所に城址があるだろうと想像していたのとは違って、水辺のすぐそばの平坦な場所でした。

 

日本三大湖城 「膳所城」

 膳所城は関ヶ原の戦い(1600年)の翌年、大阪の豊臣方に備える軍事的要衝として徳川家康により築城されました。膳所城跡公園は幕末の頃の本丸跡を整備したものですが、築城当時は本丸と二の丸に分かれていました。寛文2年(1662年)の大地震以降に接続して本丸とし、新たな二の丸を現在の浄水場あたりに建てています。天守は四層で、最上階5.5m四方、2層目7.3m四方、3層目9.1×10.9m、一番下の層は12.7m×14.6mの大きさでした。

 膳所城は琵琶湖を望む水城で、日本三大湖城に数えられているほか、湖水に映る城と松並木の景観は近江八景「粟津の晴嵐」として知られています。

絵には湖に突出するような城が描かれていて、湖面からそれほど高くない場所に見えます。

 

このあたりは、琵琶湖の増水には影響を受けなかったのでしょうか?

Wikipediaの膳所城の説明では波の侵食は書かれていますが、洪水についての記述はなさそうです。

 

近江大橋が帰宅の車で渋滞し始めました。松林と琵琶湖が夕日に照らされる美しい風景を見納めて、駅へと向かいました。

膳所本町も落ち着いた街でした。

 

 

 

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