水のあれこれ 127 琵琶湖疏水

ただひたすら湖と川を見る散歩の記録の続きです。

 

大津市で一泊し、翌朝7時過ぎにはホテルを出て、琵琶湖疏水を見に行きました。

歩いて10数分ぐらいで、琵琶湖のほとりにある三保ヶ崎の取水口につきました。そこから疎水に沿って数百メートルほど歩くと、京都との間にある山の麓につきます。

目の前に第一トンネルがあり、疎水は山の中へと入っていきました。この山を掘って琵琶湖の水を通そうなんて壮大な計画を、どうやって思いついたのでしょうか。

 

一旦、大津駅に戻りJR琵琶湖線山科駅に向かいました。

大津から一駅ですが、じきに長いトンネルに入りました。地図で見ると、JR琵琶湖線がトンネルを抜けたあたりに、琵琶湖疏水もトンネルを抜けるようです。

そして琵琶湖疏水は、もう一度トンネルに入り山科駅の北東に出るようです。

この第二トンネルのあたりは地図では道が描かれていないので、一旦迂回して第一トンネルと第二トンネルの間の疎水を見に行こうと計画していました。

 

山科駅を降りると、同じ方向に歩いていくハイキング姿の人たちが何人かいました。疎水を見に行くのかなと後ろを歩いていると、途中で姿が見えなくなり、どこかハイキングコースがあるようです。

 

山沿いの住宅街に「疎水」と書かれた古い橋があり、その先の山肌にトンネルが見えました。

ダメ元で諸羽トンネルの開口部まで近づくと、どうやら山に沿って遊歩道があるようです。散歩をしている地元の方と、頻繁にすれ違いました。

小高い場所に遊歩道があり、山科の街を一望できます。

 

遊歩道の途中に、コンクリート製の枠のようなものがあり「第2疎水トンネル試作物」と説明がありました。

 第1疎水は1890(明治23)年に完成しましたが、明治30年代に入ると電力需要等の増大への対応や、地下水に頼っていた飲料水の不足が問題となり、第1疎水の北側に第2疎水が1912(明治45)年に造られました。第2

疎水は主として水道水源に用いられるため、水が濁るのを防止する目的で、埋立てトンネルとしました。

 このアーチ状のコンクリート構造物は、疎水の建設や維持管理に従事していた作業員が建設技術を習得するため、第2疎水の埋立てトンネル上部の複製を製造したものだといわれています。第2疎水は地上からはほとんど見えませんが、蹴上の第1疎水との合流点で見ることができます。

 

Wikipedia琵琶湖疏水の図にあるように、今回私がそばを歩いていたのは第1疎水の方です。現在はわずかの水が流れている程度のようです。

 

しばらく歩くとまた疎水が地上に見えて、そのそばを歩いていくと、琵琶湖側から2436mもの長いトンネルが終わる部分が見えてきました。

 

近くのバス停から山科駅行きのバスに乗って、駅へ向かいました。

山を隔てて、こちらは京都府だと思っていたのですが、途中の電信柱に「滋賀県大津市」の住所表示がありました。

あとで地図を見直すと確かに四宮駅の手前まで滋賀県で、先ほど見た疎水の地上部分の途中に県境があるようです。

 

琵琶湖疏水とは*

 

ブラタモリ琵琶湖疏水を少し知った程度で、今回はあまり予習もせずにただ見てみたいというだけでしたから、帰宅してから思い違いや知らなかったことを見つけました。

 

京都は人口が多いので、水が必要になり疎水が計画されたのだろうと思っていたのですが、Wikipediaの「歴史」を読むと違っていました。

京都市は幕末の禁門の変で市中の多くが焼け、明治維新東京奠都に伴い人口が減少し、産業も衰退した。このため、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的として、工部大学校を卒業したばかりの田邊朔郎を任じ、設計監督にあたらせた。

 

また、「琵琶湖・淀川 里の川をめぐる〜ちょっと大人の散策ブック〜」ではこんな説明がありました。

 計画・設計・施工などの全てを日本人の手のみによって完成させた琵琶湖疏水は日本の土木技術の独立宣言であり、明治期における日本の土木技術の到達点であった。1996(平成5)年にインクライン水路閣など12ヶ所が近代遺産として国の史跡に指定された。工事の主任技師は、工部大学校(現東京大学工学部)を卒業したばかりの田邊朔郎で、 疎水工事着工時は弱冠25歳であった。

 

これを読むとあの「第2疎水トンネル試作物」もまた、その持つ意味が違って見えます。

「日本人の手による初の」という誇りが、そこにもあったのかもしれませんね。

 

いろいろな意味で驚異的に変化する時代だった当時、このあたりの街の雰囲気はどんな感じだったのでしょうか。

ちなみに「疎水」と書かれたあの橋もまた、散策ブックによると「1903(明治36)年に造られた日本で最初の鉄筋コンクリート橋」だそうです。

 

 

疎水といっても、ほんとうにそれぞれの歴史があって奥が深いですね。

 

 

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