10年ひとむかし 85 半世紀の車窓の風景を行ったり来たり

ここ3年半ほどで岡山の辺りまで何度も往復し、昨年は念願の佐賀まで東海道新幹線山陽新幹線を乗り継いでいくことができました。

なんだかすごいなあと浦島太郎の気分になりながらも、車窓の風景は子どもの頃から変わらないような気持ちになるのも不思議です。

山や水辺にはどんどんと建物が建って、全然違うはずなのですけれどね。

私の頭の中のジオラマはいったいいつの風景なのでしょうか。

 

今回はスムーズに品川駅を出発し、また車窓の風景に集中です。

あっという間に新横浜につき、近くのマンションの窓辺に猫の姿を見つけました。

ここだって、以前は水田地帯だったのですけれどね。

 

最初の頃は水田地帯や用水路あるいは川をぼーっと眺めていられただけで満足していたのですが、最近は新幹線沿いの地域を歩いて車窓から見えていた場所を実際に歩く散歩も増えました。

一度訪ねた場所は見逃すまいと窓に顔をくっつけているので、散歩の出だしから大忙しです。

 

あっという間に今まで訪ねたあたりがすぎて木曽三川を渡りました。

遠くに真っ白な伊吹山が見えました。今年はさぞかし残雪があるかと思ったら関ヶ原のあたりでも全く雪がなくて、すっかり春の風景になっていました。

薄緑色の畦道の草と、あちこちの菜の花の鮮やかな黄色。なんと美しい風景でしょうか。

 

琵琶湖をすぎてトンネルに入ってちょっと気を抜くと、琵琶湖疏水の水路を見逃しますから一瞬たりとも気が抜けませんね。

そして今までは木津川、宇治川、桂川が合流して淀川になるあたりまで風景に集中して、ようやくのんびりできていたのですが、今回はさらに淡山疏水・東播用水で潤された地域も見逃せません。

加古川を渡り、そして姫路の水源である市川を見逃さないようにと、2時間50分ほど車窓に集中して姫路駅に到着しました。

 

*「山陽新幹線 岡山開業50周年」*

 

姫路駅の構内に、「山陽新幹線 岡山開業50周年」「おかげさまで2022年3月、山陽新幹線『新大阪〜岡山駅間』開業50周年」の大きなパネルがありました。

 

記念式典があったことを、出かける前にニュースで知りました。

山陽新幹線、開業50周年 岡山駅で式典

 JR山陽新幹線の新大阪ー岡山間が15日、開業から50周年を迎えた。JR西日本岡山支社や県内自治体の関係者らが記念式典で節目を祝った。

 山陽新幹線の新大阪ー岡山間は72年、岡山ー博多間は75年に開業。50年間に延べ30億人(新大阪ー博多間)が利用した。

 東海道新幹線とつながり、東京・名古屋・大阪・博多を結ぶ国内の大動脈となっている。

 開業当時は新大阪ー岡山間が4時間10分で結ばれていた。その後、車両開発が進み最高速度が向上したことから、現在は44分、3時間9分に短縮された。

 15日に岡山駅で開かれた記念式典には、平島道孝岡山支社長や伊原木隆太知事、大森雅夫・岡山市長らが出席。岡山始発の東京行き「ひかり」を前に、テープカットをし、出発合図を送った。

 伊原木知事は「開業で岡山の町は一変した。岡山の宝である新幹線を使い、今後も地域を発展させていきたい」とあいさつ。

報道陣の取材に、平島支社長は「コロナで厳しい状況だが、50周年を迎えられてうれしい。こらからも中四国の発展に貢献していきたい」と話した。

 (朝日新聞デジタル、2022年3月16日)

 

私の記憶の中の岡山駅は今と同じ風景なのですが、初めて山陽新幹線に乗った時は、まだここが終点だったことを改めて思い出しています。

 

パネルの中には岡山駅相生駅の、当時のセピア色の写真がありました。

1970年代にはカラー写真はもちろんあったので、編集上、セピア色にしたのだと思いますが、このセピア色に見えたり、反対に変化がないように見える感覚に戸惑うことが増えました。

 

私が見ている風景は現実なのか、それとも自分のものの見方で歪んだりしているのか。

散歩の出だしから、少し自信がなくなりました。

 

まあ江戸時代あたりから行ったり来たりして風景をとらえれば、そんな混乱にも陥るだろうということにしておきましょうか。

 

 

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