ただひたすら湖と川をみる2日目は、琵琶湖疏水を見ることができたらあとはほぼ行き当たりばったりの散歩です。
米原を18時台に出る新幹線に間に合えば良いので、気分次第で途中下車をしようと思っていました。
米原から山科、そして山科から近江今津までは1時間に数本の列車がありますし、それ以北も1時間に2本はあるので、気分が楽です。
また、琵琶湖をぐるりと鉄道が一周しているので、一周するのが間に合いそうになければ大津から米原へと逆戻りすれば大丈夫です。県内を一周できる鉄道があるなんて、滋賀県ぐらいではないでしょうか。
*比叡山延暦寺*
山科駅から湖西線に乗り、ここはやはり比叡山を見てみようと思いました。
JR比叡山坂本駅で下車して、比叡山に向かって歩いてみました。参道のあたりを歩ければいいかなというつもりでしたが、まだ行けそうです。
ぐいと急な坂道を歩いてケーブルカーに乗ることにしました。
琵琶湖の方を向いて座るのですが、ブラタモリでタモリさんが「高いところは・・・」と言いたくなるのがわかる急斜面を後ろ向きに上がっていきます。
こんな急な山の頂上に8世紀から9世紀に寺をつくり、現代にいたるまで闘いや大火や人間の諸問題を乗り越えて、そして修行が続けられていることに気が遠くなりそうです。
ケーブルカーの終点で、琵琶湖を一望できる場所がありました。
この風景を、ずっと誰かが見てきたのですね。
延暦寺まで入ると時間が足りなさそうなので、折り返しのケーブルカーに乗りました。
途中で鹿がいて、目が合いました。湧き水があって、それが川になっていく様子がわかりました。琵琶湖へと流れる水がここにもありました。
*琵琶湖の右岸を列車でまわる*
ふたたびJR比叡山坂本駅から列車に乗りました。琵琶湖に近づいたり少し離れたりしますが、ほとんどどこからも湖が見えました。
そしてところどころ琵琶湖のそばにある池や内湖が見え、干拓地らしき田畑が広がっている場所もあれば、湖畔のすぐそばにまで住宅が建っている場所もあります。
琵琶湖の湖畔にお墓がある場所もありました。死んでからもこの美しい琵琶湖を眺められるなんていいかもしれませんね。お墓はいらないと思っている私でも気持ちが揺らぎました。
米原や彦根の左岸に比べると平地が少なくて、山と琵琶湖に挟まれたわずかの土地に町がある印象です。
次第にあの一晩で雪が積もった蓬莱山が近づいてきました。対岸の伊吹山も近く見え始めます。
前の晩、ホテルでローカル局の「知ったかぶりかいつぶりニュース」という番組を観ていたら、「湖水浴はベタつかない」「近江舞子は釣りスポット、水深が深くなる」「大きな琵琶湖は、西が深くて東が浅い」「山が近いので湧き水に魚が集まる」という話がありましたが、ちょうどそのあたりを通過しています。
たしかに大きな河川はないのですが、小さな川や水路が琵琶湖へと流れ込んでいるようです。
琵琶湖を見ながら刻々と地形や街の風景が変化していきます。
近江塩津で乗り換えて米原へと向かう途中に、淀川の水源である高時川を渡りました。
一周して見て、どこからも琵琶湖が見えることを実感しました。
*令制国の近江と一致する*
Wikipediaの滋賀県の「概要」は「令制国の近江国(江州)と完全に一致する」から始まっていて、かなわないなあと思いました。
さらに「地域区分」ではこんな説明があります。
なお郡は、1878年(明治11年)の浅井郡の東西分割と1897年(明治30年)の西浅井郡の伊香郡編入以外は、大宝律令以来の郡名と区画が昭和の大合併期までほぼ踏襲されていた。
大宝律令ですからね。
ふらりと歩いただけでも何か落ち着いた雰囲気をあちこちから感じた滋賀県ですが、先祖伝来のという言葉のニュアンスがまた広がった散歩でした。
「落ち着いた街」まとめはこちら。