散歩をする  219 信楽鉄道と近江鉄道本線、そして大津京へ

信楽駅は駅前に木もあって落ち着いた雰囲気でした。地元の方々でしょうか、トイレの掃除や周囲の草むしりなどをされていました。

信楽高原鐵道信楽線の歴史を読むと、1933年(昭和8)に国鉄信楽線として開業し、1987年(昭和62)に第三セクターとして存続されたようです。おそらく地元の強い願いが通じて存続されたのだと思うのですが、その4年後に想像もしなかった事故が起きて、7ヶ月ほど運休していた当時の様子はどうだったのでしょう。

 

そんなことも知らずに、沿線の美しい山と街の風景を楽しんでいました。

あの2月の岡山から広島の旅の写真がどこかへいってしまったのですが、なぜかこの信楽線の途中の風景からiCloudに保存されています。

そして当日のメモはこんなことを書き残していました。

雲が低い

雲井の手前、参道を線路が横切る、整然とした落ち着き

山のあちこちから水、沢がある、琵琶湖へ注ぐ水

貴生川までの一駅間が14分

途中、保線工事、雨、かなり高いところだった

 

写真を見ると、四方の山に雲がとても近く写っています。「貴生川までの一駅間が14分」というのは、信楽駅から紫香楽宮跡駅までの5駅はすぐ近くなのに、紫香楽宮跡駅を過ぎると終点の貴生川駅までしばらく山の中を走ります。

雲が近かったのも、最後の区間が長かったのも信楽が「高原」の街だったからだとわかりました。

 

*水口を訪ねる*

 

早朝に品川を出発したので、バスに乗り継いで信楽駅についたのは11時25分でした。

計画の段階で午後はどこへ行こうか地図を見ていたのですが、琵琶湖の周辺は水色の線がたくさんあって迷いました。

信楽線貴生川駅までたどって、そのあたりで「水口」という地名に目が止まりました。野洲川とその支流があちこちに描かれていて、お城もあるようです。

貴生川駅から近江線本線に乗り換えて、水口城南駅に立ち寄ることにしました。

 

駅を降りて数分ぐらいで水口城がありました。

資料館があるようなので、何かこの地域の水の歴史がわかるかもしれないと思ったのですが、残念ながら新型コロナウイルス感染の対応で休館中でした。美しいお堀を眺めて道へ戻ると東海道水口宿の表示がありました。東海道も桑名あたりまでは思い浮かべられるのですが、そこから京都までの道を知らなさすぎでした。

 

大津京へ向かう*

 

水口城南駅から再び近江本線に乗り、八日市駅で乗り換えて懐かしい近江八幡へと向かいました。

 

前回の滋賀県の散歩では乗る機会がなかった近江線でしたが、山側の複雑な地形の間を走っているのですが、どこからも琵琶湖へと通じているような広い田園地帯と水路が広がっている風景がなんとも美しく感じました。

今朝、滋賀県についてから晴れたり小雨が降ったりと慌ただしい天候の変化ですが、琵琶湖が見えてきたあたりでまるであの東南アジアで見たような、降っているところと降っていないところの境界線がはっきりわかるスコールのようにダイナミックな雨雲の動きが見えました。

そして琵琶湖の対岸の山々は、日に輝いています。その集水域の広さを感じる景色です。

 

 

再び石山駅に戻ったのが15時すぎで、まだ時間があります。ここからは京阪電鉄に乗り換えて、近江神宮に行ってみることにしました。

道路のそばの住宅街の一角にさりげなく遺跡がありました。

近江神宮のそばに、地図では琵琶湖へと流れる小さな川が描かれていますが、すぐそばの山から流れ込むのでしょうか、結構な水量でした。境内の森を歩いていても、その水の音が聞こえてきます。

近江大津京に関係した古い神社だと思っていたら、1940年(昭和15)に建てられたようです。

わずか80年ほどなのに「悠久の」という言葉が思い浮かぶほどの森に感じられて、明治神宮の森を思い出しました。

 

 

その日はおもに、琵琶湖の南側を歩いたのですが、山から空から、たくさんの水が集まり、目の前の琵琶湖に流れ込むようすに圧倒されっぱなしでした。

 

 

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