水の神様を訪ねる 8 桃園川と気象の神様

馬橋神社の北側には桃園川緑道が東西に整備されていて、そうだ、以前この遊歩道を歩いたのにまだ記録にしていなかったと思い出しました。

ここ2~3年の散歩は、すべてカレンダーに書き込んで保存してあります。引っ張り出して確認したところ、桃園川緑道を散歩したのは2018年11月でした。記録魔なのは母譲りです。

 

その頃は都内の河川をあちこちと歩き始めていて、神田川を地図で眺めていたら大久保通りに並行して東西に暗渠が描かれているのを見つけました。

きっと遊歩道だろうと思い、高円寺から神田川までその遊歩道を歩いてみることにしました。

 

中央線から見える高円寺一帯は平地だとばかり思っていたのですが、南口を出るとすぐに下り坂になっていました。

駅から歩いてすぐのところに、地図では「気象神社」とあります。その前を通ったら、氷川神社でした。まだその当時は、今ほど熱烈に氷川神社を探していたわけではなかったので、なんで気象神社なのかも気にせずに通り過ぎたのでした。

 

気象神社の前は結構な下り坂で、そのすぐ下に高円寺があります。

ここを歩いて、初めて高円寺の由来がこのお寺だと理解しました。高円寺というと賑やかな繁華街のイメージで、本当にお寺があるとは思っていなかったのでした。

その高円寺の前の緩やかな坂道を歩くと、桃園川緑道が続いています。

東京都杉並区、現在は荻窪駅の北にあたる天沼弁天池公園付近より東へ1.5kmほど流れ、阿佐ヶ谷駅の北、中杉通りを越えたあたりから周囲より谷を深くして南下。杉並区けやき公園のところで中央線を南東に潜ってからは桃園川緑道となり、そこから東南東へ転じ、環状七号線を越えたところからはほぼ大久保通りと併走する形で中野区と新宿区の境界を流れる神田川に合流する。

 

暗渠内は下水道として使われているようですが、半世紀前からの都内の人口の増え方と下水の整備の歴史や水害を考えると、自然を残すという理想はなかなか難しいですね。

 

この桃園川緑道を歩いたことで、高円寺駅南口からの下り坂は河岸段丘で、この川を中心に村ができたことがわかりました。

中央線の車窓から見る風景とは、まったく別の風景ですね。

 

 

*気象の神様と気象

 

高円寺の「歴史」で、気象の神様と馬橋公園のつながりを知りました。

高円寺駅南口にある氷川神社境内に日本で唯一の気象神社がある。1938年(昭和13)に現高円寺北4丁目(旧馬橋4丁目)に設立された旧陸軍気象部(陸軍第三連隊等在駐)構内で、1944年(昭和19)4月10日に造営・奉祀された。翌1945年(昭和20)4月13日に空襲で消失。終戦直後に再建されたが、終戦後「神道司令」により廃棄されるはずのものを、旧陸軍気象部だった人たちが中心となって、連合軍宗教調査局に申請し払い下げをうけて現在の場所に移設されたもの。戦時中は陸軍気象予報担当者が予報が当たるよう毎日お参りをした。旧陸軍気象部はその後気象庁気象研究所となり、現在は茨城県つくば市に移転し、跡地は馬橋公園となっている。

 

「予報が当たるように毎日お参りをした」

気象についても驚異的に変化する時代に私は生きてきて、恩恵を受けてきたのですね。

 

なんとなく決めた馬橋神社の散歩でしたが、右岸には馬橋神社、左岸には氷川神社がある桃園川周辺を実際に歩いてみると、水の神様を建てた気持ちがわかるような気がしました。

 

 

 

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