HUFFPOSTの6月13日付の記事に、「競泳の元五輪代表、サプリメントでドーピング違反に。『水泳を一度諦めた』古賀淳也の復帰までの2年」というインタビュー記事が掲載されました。
サブタイトルは、「未来が閉ざされた絶望感で『死』を意識した。つまづいたからこそ、見えた課題や伝えたいことがある。」です。
気持ちを切り替えることをいつも教えてくれる選手ですが、ある日どん底に突き落とされるような理不尽なことに巻き込まれ、そこから気持ちを立て直してこられた記録でした。
限られた現役生活を過ごすアスリートにとって、2年のブランクはあまりに長い。
競泳の2009年世界選手権100メートル背泳ぎ金メダリストで、リオ五輪代表の古賀淳也選手は、この5月にドーピング違反による資格停止が明けた。
当初は4年の処分が出され、未来が閉ざされた絶望感で「死」を意識した。
「水泳を一度諦めた」という古賀選手。この2年は何を感じ、どう復帰にこぎつけたのか。つまづいたからこそ、見えた課題や伝えたいことがある。
ドーピング 違反通知、「死」がよぎった
「もうパニックでした」
2018年3月の抜き打ち検査。「禁止物質が検出された」という違反に、古賀選手は衝撃を受けた。
国際大会に出るトップアスリートは、定期的にドーピングの検査を受ける必要がある。これまで大会時や抜き打ちで年5回ほどあったが、いつもと違う結果が待っていた。
提出した別の検体での再分析を求めるか、そのまま国際水泳連盟(FINA)の聴聞に臨か。そこで出された処分に不服の場合、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に申し立てできるという流れになる。
「冷静でない中で選択を迫られ、ものすごいプレッシャーを感じて、どう動けばいいかわかりませんでした」
再分析の間に、弁護士を頼って手探りで聴聞会への準備を始めた。突然未来が閉ざされたような絶望感に襲われ、「死」が頭をよぎった。
「1週間は、朝起きてソファに座って、テレビを眺めて気づいたら夜、という生活でした」
「死を意識するというか、ベランダがすぐそこにある。『飛べば死ねる』とまで落ち込みました。外へ出るのも、だれかに知られているのでは、どんな目で見られるのだろうとすごく気になって...ご飯も食べられず、1週間で8キロぐらい体重が落ちました」
古賀選手の尿検体から検出されたのは、いわゆる"ドーピング禁止物質"。例えば、気管支拡張効果のある物質や筋肉増強効果のある物質、利尿薬など禁止物質を使用したことを隠蔽するために用いる物質などが含まれる。
この場合、禁止物質の摂取が「意図的でない」と立証できなければ4年の資格停止。立証できれば2年以下に短縮される。
古賀選手が出した答えは「水泳は一度諦める」。意図的に摂取したものではなかったと証明する覚悟を決めた。FINAに対して、その当時摂っていたサプリメントにラベル表記の記載のない禁止物質が混入していたと訴えたが、認められなかった。
CASに不服を申し立て改めて主張・立証活動を行った結果、2019年夏、古賀選手側の主張が認められた形となり、当初4年だった処分が2年に短縮された。検査からは1年以上が経っていた。
「4年なら諦めていましたが、2年ならまた戻れるかもしれない。水泳を続けたいと話していました」
どんな理由でも禁止物質が出たらアウト。自業自得なのか
禁止物質が検出されたのは古賀選手の「自業自得」なのか。
世界ドーピング防止機構(WADA)のアンチ・ドーピング規定では、選手は「自らが摂取する物に責任を負う」「禁止物質が体内に入らないよう取り組まなければならない」という前提で違反者には厳しい処分が科される。
例えば、サプリメントの表記漏れや誤り、トレーナーや配偶者が飲食物に手を加えたのが原因でも、原則個人の責任。知らずに摂取しても「過誤や過失がない」とはみなされない。それだけ、ドーピングは重い行為とされている。
処分について古賀選手はこう語る。
「効果的な量や故意に摂取した人は4年、2、3回ルールを破れば8年や永久追放というのは、そこまで重いとは思いません。悪意を持って使う選手はスポーツの場にふさわしくないと常日頃から感じていました」
一方で、審査のプロセスや、選手側が意図的でないという立証を求められる点を疑問視する。そのための支援も不十分で、競泳日本代表選手としては初のケースだったため、身近に相談できる相手もいなかったという。
「誰の助けもなく、放り投げて『自分で壁を登ってこい』となっている。対処方法やある程度の筋道をアドバイスしてくれる部署や人がいてもいい。選手が言っている以上、全否定して突き放さず、なんらかの後押しが必要です」
古賀選手も、支えてくれる仲間や立証に必要な知識を持った人たちに巡り会えなければ、4年の資格停止のまま「引退していた」という。
「僕はたまたま前向きになれる階段を登ってこられた。そのまま下がっていく人もいるはずで、取り返しがつかなくなる。自分がやったことじゃないのにそう証明しろと言われ、精神的に参ってしまいます」
「意図せず違反してしまった場合にどうすればいいのか、アスリートに伝える活動はしたいです。この2年、復帰の保証もなく放り出される選手を助ける活動ができないか考えていました」
専用プログラムを組んでもらっていたのに...
私たちの日常生活でも馴染みのあるサプリメント。古賀選手は、トレーニングの前後や食事の際、足りない栄養素を補完する目的で使っていたという。
「主にプロテインやビタミン、運動中に飲むドリンク用の粉末のもの。あとカロリーメイトといった栄養補助食品です。日常的に食事に加えたり練習の前後。朝食があまり食べられないので、主に足りない栄養素を補完する目的で活用していました」
きっかけはアメリカに渡り、世界のトップ選手たちがサプリメントを活用しながら練習する姿を目にしたこと。
「サプリメント先進国」のアメリカでは、スーパーなどで購入でき、品揃えも豊富。2013年ごろから、アメリカで使っていたものをネットで購入したり、日本製を組み合わせたりして、本格的に取り入れ始めた。
海外製のものは、アメリカの食品品質の基準「cGMP」や、イギリスにあるLGC社のアンチ・ドーピングプログラム「インフォームド・チョイス」など、禁止物質が誤って混入してしまう(コンタミネーション)リスクが低いと考えられている製品を選んでいたという。
「cGMP」は、製品が一定の基準を満たして、全て同じ規格で製造されていることが保証されているもの。また、他の選手が日常的に飲んでいて禁止物質が出ていないもの、過去に禁止物質が出ていないものを取るようにしていました」
禁止物質が出る1ヶ月ほど前からは、サプリメントを含む栄養摂取の専用プログラムを組んでもらっていた。
「専門家にどのようなサプリメントで食事を補ったらいいのか、安全と考えられるブランドから選んでもらい、摂取のタイミングや用法をアドバイスしてもらいました」
こうしたサプリメントの認証や専門家にようるプログラムはあくまでも目安。安全性の保証や面責の理由にならず、違反があれば「自己責任」となるという。
なぜ陽性反応に。リスクとどう向き合うのか
認証のある製品の選択や専門家によるプログラムで気を付けていたのに、古賀選手はなぜ陽性反応が出てしまったのか。
「絶対に安全なサプリメントは存在せず、製造過程で誤って混入してしまう可能性があるということ。また、最近は検体の分析技術お進歩していて、過去にはわからなかったごく微量であっても検出されるようになっているとも聞きます。僕の場合は、体調や食事内容、摂取したタイミングで、ごく微量でしたが、検査で検出されました。
WADAの2017年アンチ・ドーピング規則違反レポートによると、世界のアンチ・ドーピング団体が採取し、WADAが分析した検体数は24万5232件。違反が疑われる陽性反応が出たのが2749件で、うち違反の認定は1459件だった。割合にすると約0.6%。
サプリメント摂取そのものが、"ドーピング"のリスクと隣り合わせとも言える中で、選手にできることはあるのか。
「サプリメントを摂取するのであれば、認証マーク付きや過去に禁止物質が出ていないサプリメントをとったり、量や種類を取りすぎないようにするしかありません」
「後々のことも考えて、トレーナーや医者に聞いたり講習を受けたりする。こういう確認をしないと、過失がなくてもそう見なされ、資格停止期間がさらに何ヶ月・何年となる。引っかかる確率や、意図的と判断される可能性をゼロに近づける日常的な努力はするべきです。
成功した人は『俺は頑張った』と言うけど...
資格停止中は、トップ選手が使用するクラブチームや大学のプールの使用が禁じられる。コーチや他の選手との練習もできない。
一般の人が使う市民プールしか許されず、この2年間は全く練習できなかった。
復帰後は、福岡市で2021年夏に開催予定だった世界水泳を目標にするはずだったが、2022年に延期となった。
「資格停止になった年、代表に決まっていたアジア大会に出られなかった。8年越しに金メダルが取れたらと考えています」
一方で、東京五輪が1年延期となったことで、思わぬ可能性が開いた。
「1年で体を戻して、同じレベルに上げるのは難しい。いけたらすごいこと。批判や疑問を持つ人もいると思いますが、実現できたら自分の口からどのように練習やトレーニングを積んだのか説明したい」
五輪を目指すトップ選手から一転、どん底に突き落とされた。所属会社もやめて収入がなくなったが、復帰を見据えて会社に就職できなかった。
「貯金を切り崩して、FINAのヒアリングの準備費用や生活費に充てました。今はジュエリーなどの制作活動の資金をうまく充てながらやっています。貯金がなくなってしまったので、生活はとても苦しい」
アスリートには「つぶし」が効かないという。トップレベルで活躍できる期間も限られ、不足の事態で協議を続けられなくなれば、培ってきたものを一気に失うこともありえる。
「怪我やアクシンデントで競技を辞めたら、スポーツで結果を出した選手でも、社会人1年目以下の評価になってしまう。就職しても風当たりもきつければ、めげて辞めてしまい落ちていく人もいる」
「成功した人は『俺は頑張った』と言えます。そう言う人ばかりが注目されても、『起業します』とかしか言わない選手ばかりになっても...」
5月16日に2年の資格停止が明け、再スタートを切った。古賀選手にしか伝えられないことがある。
「つまづいても、起き上がってまた走り出せば、もう一回スタートラインに立てる。自分が復帰してそれができた上で伝えたい。ぼくは水泳以外にも好きなことがあったので前向きになれた。社会で落ち込みがちな人たちに、興味が出ることを見つける大切さも伝えたい。かれらが頼れる組織や制度ができればと思います」
復帰戦は、絶対に予選から見に行こうと思います。
そして古賀選手の復帰を、「悲劇のヒーロー」の感動話にしてはいけないと強く思います。
なぜ突然人生が狂わされる選手を生み出しているのか、潔白が証明されても名誉の復活どころか「処分の軽減」で終わり、その間の経済的・社会的な損失に対して賠償もない、「正義の闘い」とは何なのか。
アンチ・ドーピング運動には、古賀選手のように頑張ってきた選手を貶めてしまわないための再発防止策はたてられるでしょうか。
一見科学的のようで、正義感と万能感の妄想のような「アンチ・ドーピングの世界」に、リスクマネージメントと言う言葉は通用しないのではないかと思えてきました。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。
古賀選手に関する記事のまとめはこちら。