食べるということ 56 貝を運び保存する

子どもの頃はアサリやシジミなどよく食べていた貝ですが、最近はめっきりと買うことが少なくなりました。

昔に比べたらパックされていて保存や取り扱いがしやすそうですが、貝というのはなんとなく面倒なイメージのままです。

誰かが調理してくれたら喜んで食べるのですが。

 

子どもの頃の記憶では、水を張って買ったばかりの貝を入れて砂を吐かせていました。

お昼頃に買って、夕方か翌朝に調理していたのだと思います。

あの頃に比べると今は生活自体が気ぜわしくて、「今夜は何を作ろう」「朝食は何にしよう」と計画しても諸事情により急遽変更ということがよくあるので、時間内に使い切らなければいけない材料はなかなか買わなくなったこともあります。

 

あの「砂を吐かせる」という段階の、なんとも経験値的な判断を必要とする作業を避けてきたので、正直なところ、いまはどうしたらいいかわからないということもあります。むしろ子どもの頃の方がわかっていたような。

いつ頃からか、砂抜き不要の貝も出回るようになりました。

 

十数年ほど前に知人が潮干狩りに行き、大量に取れたので冷凍したという話を聞きました。

貝殻がついたまま冷凍すると、むしろ美味しいと聞き、目から鱗でした。

貝を買わなくなった理由に、どれくらい貝が日持ちするのかわからないということもありました。

今でこそ検索すればすぐに答えが見つかるのですが、貝はどれくらいで食べられなくなるのか、あるいは腐るとどうなるのか、そのあたりを知らなかったのも貝から遠ざかった理由です。

 

*千葉からアサリをお土産に*

 

少し前、母の昔話を聞いていたら千葉のアサリの話がありました。

1950年代後半、父が虫垂炎千葉市の病院に入院した時の話です。当時、東久留米に両親は住んでいたので、なぜ千葉で入院したのか聞きそびれたのですが、母ははるばると面会に行ったそうです。

今なら西武線とJRを乗り継いで1時間半ほどですが、当時は大掛かりな遠出という感じだったようです。入院している夫に面会に行くのに、身内からも「そんなわざわざ遠いところまでいかなくていいのに」と言われたそうです。

 

その時に、千葉の駅前でアサリを買って帰ったということが母の記憶には強く残っていました。

まだまだ千葉の沿岸には干潟がたくさん残っていた時代には、駅前で貝を売っていたのですね。

 

当時、半日がかりで電車を乗り継いでアサリを持ち帰り、それから砂抜きをして食べたのでしょう。

今のようにビニールもあまりない時代だから、新聞紙に包んで電車に乗ったのでしょうか。

武蔵野台地では貴重な海産物のお土産だったのだろうなと想像しつつ、疲れて帰ってからの砂抜きは大変そうだし、千葉から持って帰って腐ることはなかったのかなと気になったのでした。

 

あれから60年、日本のどこでも貝を食べることができるのですから凄いことですね。

 

 

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