ゴールデン・トライアングルの記憶から川合への関心が出ていたことを回想して、これも「人生の伏線」のひとつかもしれないと書こうとしてふと思い直しました。
過去の日記でも何ヶ所かこの「伏線」という表現を使っていました。
たとえば、「川で沐浴することや胎盤の寄生虫などで住血吸虫を思い出す機会」が増えたら、ちょうど日本住血吸虫展が開催されていて、こういう偶然というのは、なんだか人生の伏線のようなちょっとドキドキするものとか、のちに出会った「折り合いをつける」という言葉にたどりつく伏線とか、この2年間ほどの散歩の伏線は「水」なのだ、あるいは私の人生にはアイルランドが時々伏線のように織り込まれていくといった内容です。
小さな経験や記憶が、その後20年とか30年後に結びつきあっていくというニュアンスで使っていました。
「伏線」という意味はこれでよかったのかなと気になって、コトバンクを読んだら違っていました。
1. 小説や戯曲などで、のちの展開に備えてそれに関連した事柄を前の方でほのめかしておくこと。また、その事柄、「主人公の行動に伏線をおく」
2. あとのことがうまくように、前もってそれとなく用意しておくこと。また、そのもの。「断られたときのために伏線を貼る」
(デジタル大辞泉)
「偶然が積み重なる」のではなくて、結果のために意図的に準備しておくという意味だったのですね。
では、私はどこで「人生の伏線」という言葉を耳にして、勝手に解釈していたのでしょうか。
今度は「人生の伏線」で検索して見ました。
すぐに答えが見つかるかと思ったら答えがほとんど見つからず、そこに出てくるのは「伏線回収」という初めて聞く言葉でした。
読んでもなんだか理解できないものでした。
「伏線は張るものではなく、回収するもの」とか「人生は伏線を回収する旅」とか、日本語なのに私には理解できないのです。
この自己啓発的なことが広がった時代と、ニュースまで物語になっていく時代が重なり合って見えました。
伏線という言葉を使う時には注意が必要そうですね。
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