散歩の記録が2ヶ月遅れになっていたのですが、最近ではさらに3ヶ月遅れになってきました。
昨年12月中旬に播磨国の川や用水路を訪ねた後、年末には都内をいくつか訪ねました。その記録がしばらく続きます。
30年以上前に神田川の源流が井の頭池であることを知ってから、何度かに分けて上流から下流まで歩いてみました。
神田川を歩いてみようと思った理由は、それ以前から関心があった玉川上水が神田川に並行するように流れていたことと、かつては江戸城下の水源であったことでした。
30年前は紙の地図しかなかったことと、谷津とか谷戸という地形を知らなかったので、二つの川が並行して流れているぐらいにしか考えていませんでした。
玉川上水が、井の頭池や神田川より高い位置を流れていることを知ったのはもっと後でした。
その二つの水の流れも現代では、井の頭線高井戸駅のそばで合流したり、明大前駅のあたりで、玉川上水の水を和田給水場に送水していた大きな水道管があったり江戸時代の跡を見つけるのはけっこう大変ですね。
*神田川の源流*
玉川上水の水路と神田川の源流の両方を見ることができるので、たまにふらりと井の頭公園周辺を訪ねています。
以前は吉祥寺駅からマルイの間を通って公園に入っていたのですが、最近では周辺の歩いたことのない道を通ってみたいと毎回のように道を変えています。
12月下旬は三鷹台駅で降りて、神田川左岸側に沿って井の頭公園まで行ってみました。
井の頭線沿線は30年以上前からあまり風景が変わらずホッとすることが多いのですが、三鷹台駅はちょっと変わりました。
いつも11月末ごろから、立教女学院のまるで森の中にあるかのような美しい校舎に大きなクリスマスリースが飾られるのが車窓から見えていました。それが見えない風景に変わりました。
ここから井の頭公園駅のあたりまで、神田川沿いに住宅が続いています。30年ぐらい前に見た時には、井の頭公園の敷地内に住んでいるかのようなこの街をうらやましいなと思って眺めていました。
今考えると、水辺へと住む場所が広がった時代だったのですね。
三鷹駅を降りて、目の前の神田川を渡ると、立教女学院の前の道は蛇行しながら井の頭公園へと続きます。
立教女学院側が高くなっていて、神田川の段丘沿いの道なのかもしれません。
井の頭公園の南端までわずか300mほどですが、車窓から見ていた住宅の間を歩くと上ったり下ったり、段丘沿いにある住宅街の道は複雑でした。
斜面に竹藪が残っている敷地があり、かつては人が住んでいたおしゃれな家が少し朽ち始めていました。
30年の時間を感じながら井の頭公園に入ると、そこまではコンクリートの三面張りの水路が、突然、野原に流れる小川の雰囲気になります。
2年ほど出番が少なくなったスワンボートも、この日は池で渋滞していました。ボートを気にせずに、その間をたくさんの鴨が泳いでいました。
たくさんの人の楽しそうな声も、大きな木々と水面が吸収しているかのように静寂も感じる不思議な空間です。
ほんとうにこの2年間、生活の中に公園があることに救われてました。
江戸への水を確保するための場所が、数百年後にはこんな場所になっているとは当時の人は想像もできないですね。
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