2月19日のただひたすら川と海を見に旅へから昨日の記事まで延々と15日間も、紀伊半島をまわった時のことを書き続けていました。
その中で、ほんとうに川がきれいだったことが印象的で「清流」という言葉を何度も使ったのですが、その言葉を使うたびに清流とはなにか私自身がわかっていないことを突きつけられていくようでした。
清流ってなんだろう。
Wikipediaの説明を読んでも漠然としています。
清流という言葉の私にとっての原風景といえば、こちらの記事に書いたような場所です。
小学生の頃、親の仕事の関係で住んだところは遊ぶ場所といえば裏山でした。学校が終わると森の中を駆け巡り、雪解け水の流れる清流で沢蟹をとって遊ぶ野生児でした。 こんこんと湧き上がる泉も、その頃遊んだ「秘密基地」にありました。
家から数十mも行けば裏山で、 そこには枯葉の中から湧き出している沢がいくつもあることを知っていました。
「秘密基地」といっても家のすぐ裏にある野原で、そこから泉が湧き出ているのです。
まさに人の手つかずの自然がそこにありました。
透明の水とか湧き水あたりが私の清流のイメージで、お鷹の道や三島周辺の湧き水に惹かれる理由なのだろうと思います。
30代に入る頃、清流だと思っていた玉川上水が下水の再生水だと知って驚きました。
それまで都内の川は汚れているものばかりと思い込んでいました。むしろ川を見ないようにしていたのですが、この頃から川があると覗き込むようになりました。
神田川もコンクリートの三面ばりのせいで一見ヘドロが溜まっているように見えたのですが、よくよくみると水草で、魚もいるし鳥もいました。源流をたどると井の頭公園の湧き水であることを知ったのもこの頃です。
その80年代から90年代ごろから、都内の遊歩道が整備されて水再生センターからの処理水が流れている憩いの場が増えました。
最近知った、あの内藤新宿分水散歩路のように地下の道路からの排水を利用した清流もあります。
90年代に行き来した東南アジアの村では澄んだ川や湧き水もありましたが、ほとんど手つかずの川や湖でも透明度は低いところもあり、その濁った水も大事な生活用水になっている地域もありました。
清流ってなんだろう。
言葉というのは難しいですね。
「水のあれこれ」まとめはこちら。