その当時の社会の雰囲気がどのようにつくられ、そして将来どのような影響を与えるのか、やはり30年ほどしてみないとわからないのだろうなと思うことが増えました。
文部科学省の「中学校職場体験ガイド」2005年(平成15)の中に書かれていたことから、1990年代から2000年代の社会の雰囲気を思い出しています。
若者の働く意欲を喚起しつつ、その職業的自立を促進し、ニート・フリーター等の増加傾向を反転させることなど、若者をめぐる諸課題に対応するため、児童生徒の勤労観、職業観を育成する。
「若者の働く意欲」は低下したのか、あるいは「ニート・フリーターの増加傾向」は、どこから来たのか、何だか鶏が先か卵が先かのようですね。
*「派遣」の出現*
その「中学生職場体験ガイド」の前書きに書かれているように、「産業・経済の構造変化や、雇用の多様化・流動化」はまず、大人の就業環境を大きく変えていきました。
2003年には、医療分野の労働者派遣が解禁になりました。
それまでは自分が働いてみたいと思う医療機関に直接連絡をしたり、ハローワークの募集を通じて面接を受けて、就職が決まるという方法だったものが、派遣会社を通しての募集が増え始めました。
人事にすれば、派遣会社からくる情報をもとに面接をするかどうかを決められ、募集にかかる手間を省けるメリットがあります。
ところが採用しても、1日だけ出勤してそのあとは連絡が全く取れないままになったり、オリエンテーションをして3ヶ月ほどたってようやく慣れてきた頃に突然辞めるという人が増えてきました。
その職場をちょっとのぞいて、「少しでも合わない」と思ったら辞めてまた次を探すという、今までの雇用形態からは考えられない「流動性」で、いつまでも人員が補充されないという地獄のようなこともおきました。
「石の上にも3年」が死語になったのかと思う変化でした。
病院側は採用が決まると派遣会社に結構な額を支払っているのに、若手のスタッフなら半年とか1年ぐらいで他の病院に転職させて派遣会社が利益を得ているらしいという話が流れて来ましたが、事実はどうなのでしょう。
*非正規雇用という働き方*
90年代に入ると、アルバイトやパートが「自由な働き方」に見える時代になりました。
まだ当時は、日本の経済ももっと成長して明るい未来がありましたから、いろいろなことに挑戦してみよう、自分の可能性を試してみようという雰囲気だったのかもしれません。
雇用者側にとっても人件費を抑えられ、社会保険を支払わなくて済むメリットが大きいので、次第に医療機関でもパートの採用が増えました。
そして収入を増やすために、他の医療機関とのダブルワークをする人も増えました。
ところが経済が厳しくなると、常勤になりたくてもなれず、十分な社会保障もない条件で非正規雇用として働かざるを得なくなる時代になってしまいました。
あるいは、今までダブルワークの人を含めて人員を確保していた医療機関は、この新型コロナウイルス感染拡大でダブルワークの人が撤退し、残った人員で回す必要も出て来たことでしょう。
「雇用の多様化・流動化」
何だか自由を勝ち得たような表現ですが、20〜30年の長さでみると、労働の対価が軽んじられる時代になってしまったように思えるのです。
達人も職場を変わればまた初心者という本質を忘れて、社会経験年数は積んだとしても専門性が維持できない人も増えたのかもしれません。
子どもの「ユーチューバーになりたい」という夢を壊さないとしても、大人が「なりたい職業のランキング」で話題にしないほうが良いのではないかとちょっと心配になりました。
この鵺のような雰囲気が道を誤らせたことに気づくのは、30年後ぐらいですからね。
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