1年 以上も前の両毛線の散歩ですが、地図を見ていたらあれこれと記憶が蘇ってきました。
ところが、iPhoneに入れていたこの時の写真をいつの間にか削除してしまっていたという痛恨のミス。いつもはブログで散歩の記録を書いたあとに消すのに、時々、大掃除をしたくなる癖でバッサリと古い写真を消してしまっていました。現地でしか見ることのできない大事な説明や風景があったはずなのですけれど。
ということで、記憶に頼ったちょっと怪しい散歩の記録の続きです。
小山駅までは東北新幹線を利用しました。湘南新宿ラインを利用しても30分ぐらいしか違わないのですが、ときどきむしょうに新幹線に乗りたくなったのだと思います。
利根川を渡り、渡良瀬遊水地に流れ込む思川の左岸と新幹線の路線に挟まれた地域の風景はどんな感じだろうと楽しみにしていたら、なんと朝靄で真っ白で、何も見えなくなりました。
山が近づいてきたからでしょうか。
小山駅に到着し、初めての両毛線に乗り込みました。最初に訪ねるのは、栃木駅周辺です。
運河と蔵のあるあたりを目指して、北西の方向に歩き始めました。栃木教会の前に水量のある水路が流れていました。その水路に沿って北へ向かって歩くと、巴波川から取水する場所に瀬戸河原公園があり、その向こうに蔵と運河の風景が続いていました。
蔵の街も歩いて見たかったのですが、ここで引き返すように今度は巴波川沿いに南東へと歩きます。
巴波川からまた別の水路が分かれて、この辺りは河合町だそうです。
1本の川から水路が出ている風景、そこに静かに街が広がっていて、いつか今度は蔵の街や水路の先に広がる水田地帯を散歩してみたいものです。
*巴波川*
さて、地図で再確認した「巴波川」ですが、読み方がわかりませんでした。
流路は栃木県中西部から南部。栃木市川原田町の白地沼(しらじぬま)を水源とし、思川小倉堰(栃木県西方町本城)の分水と合流、広い平野を南に流れていく。栃木市の市街地中心部では歴史ある蔵が立ち並ぶ景観の中を流れ、南西に転じ渡良瀬遊水池に入り、栃木市藤岡町石川で渡良瀬川に合流する。渡良瀬遊水池と栃木市大平町伯仲・小山市大字中里付近間は国土交通省が管理する直轄管理区間。
地図で流路を追ってみたのですが、「白地沼」らしき場所もなく、平地に細い水路が何と無く描かれているだけでした。
ところが、「名称の由来」にはこう書かれています。
「ウズを巻き、波を立てて流れる」という意味に由来する。
そして「治水」の歴史が書かれていました。
明治時代に堤防が築かれる以前はたびたび氾濫し、橋をかけても2年と持たないと言われたほどであった。氾濫を鎮めるために人柱を立てたという伝説も残っており、「巴波川悲話」として栃木市の塚田歴史伝説館などで紹介されている(幸来橋#伝承・逸話を参照)。
近代以降においては、1947年(昭和22年)16日、カスリーン台風襲来の際に旧部屋村内で堤防が決壊、部屋村の全戸と旧生井村の浸水する大洪水隣、多くの被災者を出した。また、2015年(平成27年)9月の関東・東北豪雨、2019年の台風19号襲来の際にも氾濫し、被害を出した。
私が生まれる十数年前の水害の多かった時代とつながりました。
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