先日、久しぶりに書店の医学・看護学のコーナーへ行きました。
やはりたくさんの本に囲まれ、あれこれと手に取って見る時間は幸せですね。
ただ、まだ残念ながら新型コロナウイルス感染と周産期看護について、参考になる本は見つかりませんでした。
実践から専門用語になるまでは気が遠くなるような観察の積み重ねが必要ですから、やはり拙速にまとめられたものを求めないことは大事ですね。
手に取る本もなさそうなので帰ろうとしたところで、「科学的根拠から考える 助産の本質」という本を見つけました。
20年前とか30年前だったら、こういう本に飛びついていただろうなと思います。
ここ十数年ほど、「助産とは何か」を考え続け、いまだに自分の専門である助産について定義さえできていないことに葛藤しているのですが、その定義さえ定まっていない「助産」の「本質」とはなんだろうと気になり、手に取って見ました。
編者の名前があのおむつなし育児を広めようとした方でしたし、目次では「自然なお産運動」でよく見かけた方々ばかりでしたから、内容は想像できました。
でも、「科学的根拠から考える」とタイトルをつけるのですから、何か変化したのかもしれません。
ちょっと期待しましたが、「序」にはこうありました。
「科学的根拠に基づいた医療」というとき、真っ先にあがるイギリスの疫学者Archibald Cochraneは、人間はもともと回復する力を持っているからその力を損なう可能性のある医療介入はできるだけ避けるべきであり、どうしても医療介入をしなければならない場合は、科学的根拠に基づいたもののみ行うべきだと述べていた。「科学的根拠」とは、だから、一般的に、「なるべく慎み深くあるべき医療介入を、それでもどうしても使わなければならないときに、求めるもの」、である。
助産は、何より、人間の持つ生理学的プロセスを重視する。その生理学的プロセスを妨げようとする医療介入が必要だとすれば、それこそ「科学的根拠」がなければならない。だから「科学的根拠から考える助産の本質」とは、言葉を変えれば、いかにして助産は女性とともにあり、生理学的プロセスに立ち返ることができるか、ということと同義であると思う。
「いかにして助産は女性とともにあり、生理学的プロセスに立ち返ることができるか」
この女性とともに という一言が出てきただけで、この本は「科学的根拠」について書いたものではないと思いました。
私自身がその思想から解放されるまで20年ほどかかったのですから。
目次には「『生の原器』の守り手」という初めて耳にする言葉も出てきます。
ざっと読んでみましたが、私にはその意味が理解できませんでした。理解できるほど賢くないと言われればそれまでですが、あの宗教の言葉や代替療法の理論が理解できないことに通じる何かを感じました。
女性は産む力がある、赤ちゃんは生まれる力があるという話のようで、文明はそれを妨げており、それを実践できるのは日本では助産所だけという話になっていました。
この内容で「科学的根拠」というのは、南山堂さん、大丈夫でしょうか?
哲学や思想を出版するのは自由なのですが、せっかく時間をかけて専門知識を習得しても「お産は終わってみなければ正常かどうかわからない」「出産は母子二人の救命救急にいつでもなりうる」という至極、基本的なことに気づくまで遠回りをさせられることになってしまうのです。
出版したものが社会に与える責任は重いと思いますね。
合わせて「医療介入とは」もどうぞ。