少し間があきましたが、梅雨前線とともに散歩をした続きです。
法隆寺駅を出て、次の目的地は奈良です。
奈良も法隆寺とともに中学の修学旅行で行きました。「京都・奈良」への一泊二日の修学旅行で、金閣寺や銀閣寺も観ましたし、宇治平等院も行きましたし、相当詰め込んだスケジュールだったのではないかと思います。京都の街も歴史に圧倒されたのですが、私自身は奈良が好きという感想でした。奈良とともに鎌倉も好きで、おそらくきらびやかな建物よりは、木目だけの質実剛健なものが好きなのだと思います。
2回目に奈良へ行ったのは、それから10年後、来日した友人たちを案内した時でした。この時には、滞りなく友人の旅のスケージュールをこなすことでいっぱいで、あまり記憶が残っていません。今思えば、アメリカ人の友人たちはバックパッカー的な旅だったので、「そんなに計画にとらわれなくてもいいよ」と思っていたかもしれませんが。
その時の印象は、修学旅行で行った頃に比べても人が多いというものでした。春日大社のあたりも、鹿よりは人の多さが印象に残りました。
80年代半ば、旅行や観光が日常的になり始めていた時代といってもよいかもしれません。
今回は、全国で自粛が解除されて少しずつ観光客が戻り始めていた頃でしたが、奈良公園もほんとうに人が少なくて、鹿も暇そうでした。
奈良の寺社は好きだけれど、人の行列のような中を歩くのは嫌だなと思っていたので、本当に良いタイミングで静けさを楽しむことができました。
*旅行と学園祭*
80年代初め頃は海外旅行もほとんどがパックツアーで、旅行店に並べられたパンフレットから選ぶというものでした。初めての海外旅行なら、やはり一人で行動するのはリスクが高いですが、おそらくしだいに自分で行動を決めるような旅へと変わるだろうと思っていました。
90年代は予想通り、個人での旅行が増えてきた印象です。
ところがたしかに旅行の日程は個人なのですが、旅行先での過ごし方がなんだか画一的になってきたと感じるようになりました。
それは日本だけではなさそうで、ヴェネチアのカーニバルのように、大きなイベントと一体になってきたのでしょうか。
何かと似ているなあと思ってきたのですが、今回の「GoToトラベル」の流れを見ていたら、学園祭だと思いつきました。
毎年のように出し物のブースは決まっていて、人をたくさん集め、なんだかわからないけれど興奮して楽しみそれを当てにして儲ける、そしてそれが「成功」とされる、そんな感じ。
誰か他の人が企画してそれを楽しむのも一つの選択だと思いますが、退屈に対して不安なゆえのあてがいぶちの楽しみになりやすいのではないかと、旅についての変化を見ています。
ただ、今回の散歩では、「こんなマイナーな場所をどうやって知っているのだろう」と驚くような場所ばかりだったのですが、必ず、ふらりと歩いている旅人に出会いました。
一人とか二人で、静かに歩いています。こんなに人出が減っている時期なのに。
やはりイベント的な旅からは卒業した段階の人たちが増えているのではないかと。旅についても百年の計が大事ではないかと思いますね。
七世紀、八世紀の頃の町並みを静かに歩ける。
すごい遺産だと思いました。
そしてその価値を知って、いろいろな楽しみ方をできる人たちがいることはすごい財産ですね。
「10年ひとむかし」まとめはこちら。