記録のあれこれ 98 記憶と物語

先日の食べるということ 71   キャベツの千切りに、settu-upさんからのブックマークがありました。settu-upさんからは時々、資料などを教えていただくことがあります。ありがとうございます。

今回のブックマークでは、ご自身の2015年のブログ新・とんかつの誕生でキャベツの千切りも含めて「薀蓄」と「研究」の違いについて書いた記事をご紹介くださいました。

 

「ちょっとした薀蓄」は 医学も含むニセ情報の温床です。

たしかに。 

そしてこの話が出るたびに、毎度、settu-upさんがうんざりしていらっしゃるのだろうと想像しています。

 

どちらかというと「いつから日本の社会に千切りキャベツが広がったのかは、やっぱりわからないものだな」と思いつつ書いた記事だったのですが、今読み返すと、「通説」を再生産してしまった内容に読めてしまいますね。

 

私自身がブログを書き始めたのも、「どこまでわかっているのか」あるいは「わからないことは何なのか」がわかっている人なのかそうでないのか、あるいは知識があっても、自分がわからないことが見えていない人なのか、というあたりが見えるようになってきたことを、整理してみたくなったからでした。

 

思い返すと、90年代ごろから医療の分野で「ナラティブ」という言葉が広がり始めました。

昔の出産や昔の産婆さんの聞き語り的な本や研究が、このナラティブの広がりとともに増えた印象があります。

同じ頃に、「根拠に基づく医療」という流れがあって、臨床の観察や症例報告だけではエビデンスレベルが低いとなったのに、このナラティブとの矛盾に私は当時気づきませんでした。

 

個人的体験談という言葉を知って、そのつじつまの合わなさに初めて気づいたのでした。

 

*キャベツの千切りが始まったのがいつからかは、正確にはわからない*

 

ちょっと話が変わるのですが、コーヒーが好きで毎朝たっぷりと入れて飲んでいます。

今ぐらいの暑い時期になると余った分を製氷皿に入れて凍らし、翌朝、入れたてのコーヒーに凍ったコーヒーを入れてアイスコーヒーにしています。

 

いつ思いついたのか記憶にないのですが、「これならただの氷と違って水っぽくならない!」と自分のアイデアをすごいと思いました。

 

昨年、NHKの「小さな旅」の地蔵川の回を観ていた時に、そばにある喫茶店のご主人が同じことを考えついて冷凍したコーヒーでアイスコーヒーを作っていたという話がありました。

 

「誰が始めたか」という食べ物の歴史をたどるのは、難しいことだなと印象に残りました。

 

「キャベツの千切り」についても、おそらく同じような時期に日本のあちこちで「発明」した人がいるだろうなぐらいの受け止め方で、大事なのは「生で野菜を食べられるようになった」時代の変化の方だろうと思います。

そこをもっと強調した文章にすればよかったですね。

 

反省も含めて、この記事を「キャベツの千切り」に追記して残すことにします。

 

 

 

 

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