米のあれこれ 27 ウルグアイ・ラウンドと用水路

古部駅に向かう島原鉄道の車窓から用水路のそばに「ウルグアイ・ラウンド」何とかと書かれた看板が見えました。

そういえば「ウルグアイ・ラウンド」という言葉をよく耳にした時期があったけれど、具体的になんだったのだろう、そしてこの用水路とどんな関係があるのだろうと気になりました。

 

海津見神社を訪ねたあと、その用水路と看板が近くにあった小野駅を目指しました。

 

川内村の住宅地を歩くと、用水路の側の畑には色とりどりの花が咲いています。ほんと、どこでも田畑のそばには花がたくさん咲いているので、それもまた楽しいものです。

用水路にはたくさんアメンボがいました。白っぽい水に黒のアメンボが映えて、引き込まれるような美しさです。

子どもの頃はよく見ていたアメンボですが、久しく見たことがありません。

足先の毛だけを水面につけて、毛が水を撥く表面張力を利用して水面に浮かぶ。脚の先端部からは油が分泌している。表面張力は、雌が雄を背に乗せても沈まない程度に強い。

Wikipedia「アメンボ」「生態」より )

このわずかの文章でさえ、気が遠くなるような観察の積み重ねですね。 

 

水田に囲まれた落ち着いた街並みを抜けると、少し大きな用水路になり、踏切の手前に目指す看板がありました。

ウルグアイ・ラウンド対策事業地区 

 

活力に満ちた農村地域を建設するためのウルグアイ・ラウンド農業合意関連対策事業費によって、この事業は行われています。

かんがい排水 排水対策特別事業

 

この用水路には透き通った水が流れていて、駅からの途中でところどころで目にした白く濁った水とも違います。用水路の水にもこんなに違いがあるのですね。

 用水路を歩いているとあちこちに「排水路」「排水機場」といった施設を目にしますが、農業の排水とはどんなことかさえ、私はほとんど知らないままです。

 

 

さて、頼みの綱のWikipediaウルグアイ・ラウンドは、驚くほど簡潔でした。

ただ、「1986年ー1994年」ということは確認できました。

1993年の冷夏は、さらにこの情勢を後押しすることになったのでしょうか。

 

お米をお腹いっぱい食べたいという望みが急速にかない、反対にお米があまり、またこうした世界状勢の変化で水田を放棄せざるをえなくなった激動の時代を、1999年(平成11年)に88歳で亡くなった祖父はどう思っていたのでしょう。

 

その時代を生きていてもその時代の歴史がわかっているわけではなく、お米についても知らないことだらけですね。

 

 

 

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