二郷半用水を認識したのがいつだったのか正確な記憶がもうないのですが、おそらく水元公園がきっかけだったと思い返しています。
数年前までは都内にこんな溜池の歴史があることも、まったく見えていませんでした。
水元公園から上流へと大場川をたどり、三郷放水路まで歩いた頃に、何度も何度も地図でその近辺の水路をあちこちたどるうちに、二郷半用水が目に入るようになったのだと思います。
ただ、地図では川の名前は比較的上流まで表示されるのですが、用水路名の表示は主要な場所だけのことが多いので、水色の線をずっとたどっては見失い、どこから取水してどこの水田を潤しているのだろうということを把握するのは至難の業という感じです。
*「寛永年間に開削された水路」*
Macの地図では「二郷半用水」ですが、Wikipediaでは二郷半領用水として説明があります。
二郷半領用水路は、吉川市、三郷市、北葛飾郡松伏町東部地域の灌漑の為に整備された用水路である。
水路の歴史は古く、寛永年間に開削された用水路で、現在の東京都葛飾区地内の葛西領が利根川に水源を求め水路を整備した際に、松伏溜井から15km下流の小合溜井まで送水するために整備された水路が元である。
さらりと書かれているのですが、これを地図でたどると時々水色の線を見失いながら、気が遠くなるような水路の長さです。それが寛永年間(1624〜1644年)に始まったというのですから、本当に江戸時代の土木事業はどんな世界なのかと驚きです。
江戸川と中川に挟まれた三郷市・吉川市の地域は、古くは二郷半領と呼ばれていた。この地域は早場米の産地であったが、元々中川低地に位置しているため、たびたび水害に悩まされていた。そのため、戦前・戦後を通じて幾多の灌漑排水事業を行った結果、良質な穀倉地帯となった。
現在、松伏町大字松伏の二郷半領揚水機場にて大落古利根川の松伏溜井から、また水量補給の為、三郷市彦川戸の二郷半領中川揚水機場にて中川より取水している。
二郷半用水はどこから取水しているか。
何度も地図でたどったのですが、いまだにこの説明と付き合わせても理解できないほど、大きな水源になりそうな場所が見当たりません。
ただ、その松伏(まつぶし)町の総合公園に水色の池のような場所があり、また古利根川と新方川との間の大吉調整池のあたりも一度は歩いてみたいと計画のノートにありました。
なかなかその機会がなかったのですが、今年3月に放送されたモヤさまでなんと松伏町の回があり、その美しい農地を観ることができました。
二郷半用水を全部歩いてみたい。
ちょっと火がつきました。
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