大阪駅からJR大和路快速に乗りました。「大和路」という名前だけでも、奈良に向かっている楽しさがありますね。
港湾に近い場所や運河を通り、初めて通天閣を見ました。乗ってからわずか20分ほどで、風景が住宅街になり、山が近づいてきました。あの一時不通になった柏原駅のあたりからは両側に山が迫ってきて、渓谷になりました。梅雨前線のために、大和川には川幅いっぱいに茶色い水が流れていました。
そこもあっという間に抜けて、わずか35分で王寺駅に到着しました。
*王寺駅と大和川*
駅前の電柱に、「3m~5m 想定浸水深」という表示がありました。
この場所は大和川・葛下川の氾濫により浸水する可能性があります。
この場所は、昭和57年に浸水しました。
駅前は大和川よりもだいぶ高い場所にあるようにみえたのですが、この3kmほど上流には奈良盆地の四方から水が集まってくる川合があります。
山合いの駅かと想像していたのですが、大和川を中心に平地が広がっていました。
ここから北へ近鉄生駒線、東西へJR大和路線、南東へ近鉄田原本線、そして南へはJR和歌山本線が出ているので、交通の要所という感じの場所だったのでしょうか。
駅前のゆったりした歩道や昔ながらの家や新しい家が、落ち着いた街という印象でした。
歩き始めるとまた雨が降り始めました。堤防に上って大和川を眺め、そのあと久度神社を訪ねました。
当社は続日本紀に延暦二年(西暦七八三年)官社に列せられたとあり、延喜式神名帳(西暦九二七年)にも載っている古い社です。
また延暦十三年(西暦七九四年)平安遷都に際し創建された京都市北区の平野神社第二座に当社から移されて久度神が祀られています。
久度神の「久度」は「窖(くど)」の意味で御厨神の総称であり、「竃(かまど)の神」(伴信友説)といわれています。
久度神社には現在久度神のほか八幡(寿命・幸福の神)、住吉(水運・交通の神)、春日(子孫繁栄の神)の神をおまつりしています。
八世紀ですからね、かないませんね。ふと気が遠くなりそうです。
Wikipediaの王寺町を読むと、「奈良県内における大和川水系の最下流にあるため、圏内で最も海抜が低い地域であり、1982年には町中心部で水害による甚大な被害がでた」とあります。
駅前の表示はその教訓によるものようです。新宮や三次の洪水標を思い出しました。
もしかしたら駅前のバスロータリーの歩道が2階になっていたのも、駅前に広い道が整備されていたのも、そんな歴史からきたのでしょうか。
*平城京から堺への水運はどんな雰囲気だったのだろう*
ブラタモリの「法隆寺」を観たときには、山と山の間をゆったりと川が抜けていくイメージでした。ところが実際には渓谷のような場所もあり、帰宅してからあらためて大和川の説明を読むと、そこは「亀の瀬」という地滑り多発地帯でもあるそうです。
奈良県というと盆地というイメージで、水害は思い浮かばないものでした。
歩いて見ると、あの甲府盆地と信玄堤あたりと重なりました。
ところで、生駒山系と葛城山系の間を流れる大和川の風景は、地図からの予想がはずれ、王寺からは見られませんでした。もう少し府県境寄りにある三郷の方が見える場所だったかもしれません。
「散歩をする」まとめはこちら。