運動のあれこれ 42 「地球上の誰一人取り残さない」

赤穂の塩田が閉鎖された時代には、この地域はどんな雰囲気だったのでしょう。

 

そして時代は減塩の時代となりました。

私にとっては「食塩」しか思い浮かばない「塩」が、もっと違う形で社会のさまざまなことに活用され、また新たな産業へと変化していったのだと思うのですが、同じ時代を生きていながらも何も知らないままですね。

 

時々、時代というのは無慈悲とも思えるような変化が起こるようですが、社会の風潮や構造が一気に変わることで、誰かが仕事を失わなければいいのですけれど。

 

 

*塩でさえ買い置きがない社会*

 

塩をみると思い出すのが、グラム単位で小さく小分けして売られている塩でさえ買い置きがなかった家族のことです。

 

開発途上国の中でも辺境の地域でしたし、いまでも時々内戦のニュースが入ってくるので、おそらくあれから30年ぐらい経っても生活の変化はゆっくりではないかと思います。

内戦が起こる背景も地域によっても時代によっても一様ではないので、少し住んだくらいではほとんど理解できないことでした。

 

一日塩分6gを達成するのに汲々としている私と、数人の家族のために数グラムの塩でさえ買い置きができない経済状態の家という現実の差について、塩を見るたびに答えのない葛藤を突きつけられている感じです。

 

*「持続可能な」が、「地球上の誰一人取り残さない」へ*

 

SDGs」という言葉を初めて耳にしたのが、昨年でした。

 

唐突として耳にするようになったこれは何の略語だろうと調べたら、1980年代から耳にしていた持続可能な開発の目標のことでした。

「17の国際目標」がわかりやすい言葉で書かれていました。

市民活動家とか環境活動家を名乗る高校生や大学生が出現したのは、むしろわかりやすさからの流れでしょうか。

 

最近はちょっと世界の話題に疎くなっていたから耳に入らなかったのかなと、読み始めて引っかかったのが「地球上の誰一人取り残さない」という表現でした。

 

1970年代に調整乳反対キャンペーンと母乳推進運動をWHO/UNICEFが後押しし、2000年代に入ると「母乳育児で簡単に幼い命を救えます」とまで言い切り、つじつまの合わないプレスリリースを出し続けていることと似ているなと感じてしまいました。

 

支援物資のミルクまで善意であっても誤った援助というプロパガンダになり、実際にどれだけの子どもが亡くなったかなんて誰も気にしない。

それまで便利で良い製品づくりをしてきた会社が潰れても、誰も気にしない。

 

「地球上の誰一人取り残さない」

「Think glovally,  act locally」の葛藤がないから、現実の世界ではむなしくてとても言えないようなスローガンが出てくるのでしょうか。

 

時代や地域によっても「切実だった塩を得ることの歴史」を思っていたら、社会を変えるためには理論化を急がない方がよいという声がまた聞こえたような気がしました。

 

 

 

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