パソコンの地図であちこちの航空写真をみることができるようになり、災害が起きるとその地域はどんな場所なのか確認するようになりました。
河口付近をのぞけば、だいたいは山肌を削ってわずかの平地を得て、そこに集落が発展してきたことが想像できるような地形です。
武蔵野台地で暮らしてきた私には「こんな地形でも家を建てるのか」と驚いていたのですが、最近、幼少時の記憶を歩くようになって、私が平地だと思っていた地域も少しだけ都市化が早く進んだだけで、地形は大差ないように見えます。
また、祖父母の水田から干拓の歴史に関心が出たことで、地図の川のそばや河口付近をみると、「ここは干拓によってできた土地」であることが推測できるようになりました。
干拓前のもとの地形を想像すると、これもまた山裾にわずかに広がる平地だったのだろうと思う場所がけっこうあります。
そして私がイメージしていた近代の干拓ではなく、大昔から少しずつ干潟などを農地に変えてきた長い歴史が重なるようになりました。
そしてそういう場所は、河道が大きく変化し、いつも大きな水害を受けている場所でもありました。
「川の付け替え」「堤防工事」といった土木工事もまた、近代の技術ではなく、江戸時代にはすでに行われていたことも知りました。
本当に日本の国土には、農地や宅地にできる安全な場所というのは少なく、そのために何百年も地形を変えながら工事が行われてきたのですね。
住むことも許されなかった場所を平地にし、開墾し、そしてさらに多くの人が一戸建てに住むという夢のような宅地化開発できるようになったのがここ30年ほどだったのではないかと思い返しています。
昨日引用したニュースに以下のように書かれています。
このほか財務省は、洪水浸水想定区域に住む人が増えているとしたうえで、水害が想定される地域に住宅の建築規制などを導入してリスクを軽減できれば、防災や減災にかかるコストを抑えられると指摘しました。
「洪水浸水想定区域に住む人が増えている」
たしかに水のそばに住む人が増えているけれど、なんだか人ごとの表現ですね。
水辺でなければ、国土のどこに家を建てられるのでしょう。
山の近くであれば、やはり川がすぐそばにあり、土砂崩れや浸水の被害も当然ありますね。
急峻な山のあちこちに防災ダムや山腹工が造られて管理されている様子が、鉄道の車窓からも見えます。
人口が急激に増え、その多くの人がかつてないほど一戸建てという広い住環境を求め、コメ余りや後継者不足で農地を宅地化したり、相続税のために農地や山を宅地化していったこの30年はなんだったのでしょうか。
そしてなにより、「防災や減災にかかるコストを抑える」という言葉は、ここ最近の大きな災害を経験して出てくる政策ではないのではないでしょうか。
なんだろう、この財務省の表現と現実との辻褄の合わなさは。
もしかすると、日本各地を回ったことがないのかもしれないですね。
車窓の風景を見て、ちょっと歩いてみるだけでも、もう少し国土が見えてくるのではないかと思いますけれど。
ああ、もしかするとあちこちを回れるような時間と心の余裕が、国の政策をたてる官僚の皆さんには必要ということでしょうか。
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