水のあれこれ 242 水判土

いきなりなんの題名か、どう読むのかわからないタイトルですが、地名です。

4月上旬に行った散歩で、まずここを目指しました。地図を眺めて散歩のコースを決めるのですが、「水」という地名があるこの場所はどんなところなのか、その時もまだ読み方がわからないまま訪ねてみました。

 

交差点があり、その表示に「Mizuhata」とありました。

ああ、みずはたと読むのか、日本語は難しいなあと思いながら、1ヶ月ほど経ったらもうすっかりなんと読むのか忘れていました。

 

Wikipediaには水判土の詳しい説明がありました。

さいたま市の難読地名の一つに数えられる」とありますから、読めないのは私だけではないことでしょう。

 

JR大宮駅と荒川のちょうど中間あたりで、荒川に並行して流れる川に小さな支流が合流する場所に水判土があります。

4本の大きな道路にさらに2本の小さな道路が放射状に交差している場所で、北側にお寺があります。

 

2018年に見沼代用水と武蔵水路を訪ね、荒川の水の神様を訪ね始めてから、大宮周辺の地形もだいぶ想像がつくようになりましたが、「水判土」とは何を表すのか全くわかりません。

 

*水判土の地理*

 

大宮駅から指扇駅行きのバスに乗り、その名も水判土バス停で下車しました。

トラックや自家用車の通行量が多い道路で、そこまでは最近拡幅工事されたような歩道もゆったりした道でしたが、バス停の近くは歩道も白線だけでした。

車を避けながら、交差点の表示を写真に撮りました。

 

北側のお寺は、2mほどの石の壁で高くなった場所にありました。

それ以外は平地のように見えました。

 

さいたま市西区南東部の大宮台地に属する指扇支台の最南端に位置する。南側は鴨川や新川(古入間川)が流れ下る沖積平野(荒川低地)で、北側にも鴨川に合流する小河川が流れる谷戸の低地があり西側以外の三方を低地が取り囲んでいる。

Wikipedia、「水判土」「地形」)

 

あの地形が「大宮台地に属する指扇支台の最南端」というのですね。

散歩に行く前にWikipediaを読んでもなかなか頭に入らないので、だいたいは帰宅してから検索するのですが、正確にその場所が表現されていてすごいと思いながら読んでいます。

ところで「指扇(さしおうぎ)」も、昨年伊佐沼を訪ねるときに「指扇駅」を通過して読み方を覚えたはずなのに、すっかり忘れていました。難しいですね。

 

*水判土の歴史*

 

Wikipediaに歴史が詳しく書かれていました。

もとは江戸期より存在した武蔵國足立郡植田谷領に属する水判土村で、古くは水判土荘内野郷に属していたと云われている。さらに古くは戦国期より見出せる足立郡のうちの水判土であった。水判土は水波田とも記す。

 

地名は低地の農地である水田(水畑)を意味する。低地はかつての入間川の旧流路(現在の新川および鴨川)の氾濫原であった。

「水波田

利根川東遷事業のあとも、暴れ川だった荒川の歴史を意味する地名だったのでしょうか。

 

北側のお寺についても書かれていました。

慈眼寺(じげんじ)には1591年(天正19年)11月10石の寺領(朱印地)が寄進されていた。826年(天長3年)創建で、中世には慈眼寺に水判土館と称される城塁が存在していた。

交差点に面した、あの石が積まれたあたりが城塁だったのでしょうか。

 

そして交差点も、直角に道路が交わるのではないあたりが、「水判土は古くからの交通の要衝であり」を感じさせるものでした。

 

 

ということで、以前からちょっと気になっていた地名でした。これでようやく読み仮名を覚えられるでしょうか。

 

 

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