水のあれこれ 259 「氾濫から遊水へ」

東北から北陸までの今まで経験したことのない大雨のニュースに、高時川の霞堤の話題がありました。

新聞では茶色い水が水田に流れ込んだ写真なので「水害」のように見えますが、「霞堤による遊水池で集落が守られた」という評価もありました。

 

高時川淀川水系の水源である川で、琵琶湖に流れ込んだ後瀬田川から淀川になり大阪湾へと流ることを、3年ほど前に知りました。

一度はその川沿いも歩きたいと思いましたが、北陸本線の車窓から見ただけです。

 

地図で確認すると、田んぼに水が流れ込んでいるのは高時川左岸の高月町馬上で、小さな支流が山から合流する川合の場所のようです。

500mほど西側を北陸本線が通っていますが、そのあたりからは琵琶湖の干拓地のような水田地帯が広がっている場所で、おそらくこれまでも何度も水害にあった川合だろうと想像がつきました。

 

あるいは、雨の降り方が違えばその東側からの小さな支流が氾濫するでしょうし、集落の裏手には山が迫っていますから、今回、村上市小岩内のように荒川の氾濫ではなく裏山からの土石流がおこる可能性もありそうな場所に見えました。

 

 

都内の河川でもこうした遊水池的な場所をあちこちで見ることができますが、いずれにしても治水というのは雨の降り方や降った場所が違えば結果もまた違うので、何か一つの方法が万能ということはなさそうに素人には見えました。

 

 

*「霞堤」が決定するまでのプロセス*

 

少し前ですが、霞堤の計画がある地域の方の葛藤がテレビで伝えられていました。

田畑が作られている場所が選ばれれば、頑張って作っても50回の農業ですから、丹精こめた作物を水に浸したい人はいないことでしょう。

 

霞堤で検索したら、「「なぜ自分たちが犠牲に?」霞堤と集団移転、治水対策に揺れる集落」(朝日新聞デジタル、2021年10月25日)に栃木県那須烏山市下境の記事がありました。

 

ブログには残していなかったのですが、3年ほど前、JR烏山線に乗ってみたことがあります。那珂川がぐいと大きく蛇行した場所にその路線の終点があることが気になって見てみたいと思いました。高台に街があり、那珂川の流れが山間部を削ったような場所で、そこから数キロ下流にあるのが下境でした。

那珂川に右岸からの支流が合流した直後に山の間へと流れていくので、それまでの盆地のような場所から急に出口が狭くなり、水が溢れそうなことが想像できます。少し開けた場所が終わる、それが「下境」の地名だろうかと思うような場所です。

 

 茨城県境近くにある栃木県那須烏山市の下境(しもざかい)地区の人口は600人ほど。那珂川が集落を囲むように蛇行しながら流れ、過去に何度も水害が発生した。台風19号でも地区の約3割にあたる72世帯が浸水した。川から約400メートルの場所に立つ住宅には、2メートル近い天井付近まで水の跡がいまも残っている。被害を受け、水害対策事業が持ち上がった。

 

 まず国が昨年1月、「霞堤(かすみてい)」と呼ばれる堤防の整備を公表した。氾濫(はんらん)が予想される地区内の川沿いに長さ計約1.8キロの堤防をつくり、一部に「切れ目」を設ける。洪水時は川の水を切れ目から田畑などに意図的に流し込み、河川の全体流量を抑える。19号では下流茨城県常陸大宮市などで堤防3ヶ所が決壊したが、下流の水位を下げる効果がある。地区内では霞堤による浸水が起きるが、その面積は従来より2割ほど減ると、国は説明する。

 

 もう一つは被災地域の住民を安全な土地へ移転させる「防災集団移転 促進事業」で、那須烏山市が昨年10月に提案した。市町村が移転先の用地取得などを行い、費用の4分の3を国が補助する。ただ、慣れ親しんだ土地からの移転は住民の同意が難しく、東日本大震災以降に実施例はない。

 

 国交省常陸河川国道事務所の堀内輝亮副所長は「氾濫から遊水という形に変えていく。霞堤と集団移転は両論。下境には堤防がなく、まずは堤防整備を進める」と説明。霞堤の効果についても「浸水時の水位が下がるなど、地元にも利点があることを丁寧に説明したい」と話す。ただ、集団移転を含めた市と合同の住民説明会はこれまでに1度しか開かれておらず、住民の理解は進んでいない。

 

 

まるでダム建設と同じ葛藤と問題があり、国土交通省もその時代に社会から求められることを調整しながら治水を進めるというのは本当に大変なことですね。

 

ただ、一本の川の上流から下流までの集落で何百年も諍いが繰り広げられてきた歴史を考えると、現代は根気よく調整をしながらの時代なのだと思えるようになってきました。

 

 

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