行間を読む 159 「土木用語にしては文学的な表現」

霞堤はすごいという雰囲気にちょっと警戒心がでて霞堤について検索していると、その代表のように思っていた信玄堤も当時は霞堤とは呼ばれていなくて、そもそも霞堤という定義もないことを知りました。

 

あの1980年代ごろからの周産期医療が急速に安全性を高めて行った時代に、自然なお産とか主体的なお産という言葉が対抗するように出てきたことと似ているような気がして、しばらくもやもやしていました。

 

 

*「「霞堤」は誤解されている」より*

 

「「霞堤」は誤解されている」(大熊孝氏、2013年10月28日、特定非営利活動法人 新潟水辺の会のホームページ)の最初の箇所に「文学的な表現であり、多くの人の関心を集める用語」とあり、そうそうそれがもやもやにぴったりくる感じだと思いました。

 

今後の参考のために全文引用します。

 

「霞堤」は土木用語にしては文学的な表現であり、多くの人の関心を集める用語である。新潟の関川水系矢代川の破堤に関して、2013年9月にこのホームページで「霞堤」の機能について書いたら、何人かの方から「霞堤」は下流の洪水を防ぐための遊水池としての役割(洪水調節機能)があるのではないかという質問を受けた。そこで「霞堤」について私の考え方を述べておきたい。なお、「霞堤」に関しては、拙著『技術にも自治がある』(農文協、2004年)の第8章に詳しく書いてあるので、深く知りたい方はそれを参照してほしい。

 

霞堤は、図1のように堤防が二重に重なっているが、ところどころ不連続に切れている特殊な形態をしている。洪水時には、この不連続なところから洪水が逆流して滞留することから、洪水調節の効果があると考えられがちであるが、図1の手取川の場合、河床勾配が100分の1以上と急勾配であり、水位の上昇する時間を考慮すると、ほとんど洪水調整効果は無いと考えていい。それでは、この霞堤にはどのような効果があるのかというと、矢代川の事例で示したように、上流で堤防が切れて氾濫した場合、氾濫水が二重になっているところから河道に還元され、氾濫域が限定され、水害が軽減されることにある。

 

この霞堤は、形態としては武田信玄が「雁行する堤防を造った」と伝えられているように、古くから存在はしていたが、「霞堤」という用語そのものは江戸時代には存在していない。この用語は、明治時代に北陸扇状地河川の常願寺川の堤防に関する表現として現れ、その後次第に普及していったものである。

 

しかし、途中から、緩勾配河川の不連続堤にも「霞堤」という用語が使われるようになった。その一つの典型例が、図2の豊川(愛知県)の霞堤である。この不連続堤は河床勾配が700分の1から7000分の1と緩いところにあり、狭窄部下流の洪水を大きく低減してきた。すなわち、急勾配河川の霞堤と、緩勾配の不連続堤では全く機能が違うのであるが、どうしたことか同じ「霞堤」という用語が使われるようになったのである。それは図3にあるように、急流河川と緩流河川の不連続堤を一つの図に表現した「河川工法」(常盤書房、1927年)という教科書の出現に大きく依存しているのでは無いかと考えている。ただ、豊川と同じような遊水機能を有していた利根川中流部の遊水池に対しては「霞堤」という言い方はされたことはない。

(強調は引用者による)

 

高時川の件は緩勾配河川の例だろうぐらいで、専門的なことはほとんどわからないのですが、「霞堤」というのはかなりイメージが先行している印象だということがわかりました。

 

大熊孝氏については、村井吉敬さんたちとダムを見て歩いた頃にお名前を知り、シンポジウムなどで直接お話を伺う機会もあったと記憶しています。

脱ダムの運動の中心的な方という認識のまま止まっていたのですが、「土木用語にしては文学的な表現」と書くに至ったのはどんなその後の経緯があるのでしょうか。

 

もしかしたら、脱ダムから森林の万能論になったように、社会運動というのは同じ方向を求めていったつもりが、全く違う方向になることの葛藤からかもしれない、そんなことを勝手に考えました。

 

医療と同じく、土木の専門用語は人命に直結する失敗の歴史がその行間にある言葉だから、定義のできない言葉に効果を求めてはいけない。

そんな感じでしょうか。

ほんと、専門職も定義をしっかり押さえないと、万能感にあふれたファンタジーで人を惑わせ、文学的表現だけが広がってしまうことになりますからね。

 

そしてその失敗は回収が不可能で、忘れた頃に何度も何度も亡霊のように現れるのですから。

 

 

 

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