水のあれこれ 289 毛長堤とはどこにあったのか

ようやく1月の遠出の記録が終わり、今回は2月の散歩の記録です。もっと出かけたような気がしていましたが、2月は散歩らしい散歩はこの日の一日だけでした。

 

昨年12月に利根川中流の左岸と右岸を歩いた時に、中条堤を訪ねました。

 

Wikipediaの中条堤に書かれている、「埼玉県熊谷付近に設置されていた堤防であり、東京(江戸)を水害から守る治水システムの要であった」という記述が印象に残りました。

 

Wikipediaの「補足」にあるように、「中条堤という名称は総称」であることが実際に訪ねた場所にあった案内板の地図でわかりました。

「千住堤」や「毛長堤」といったいくつかの控堤が江戸の近くまであったようです。

 

*都県境としての毛長川*

 

「毛長堤」と聞いて、また数年来のやり残した宿題を思いつきました。

2017年ごろから都内の川沿い運河のそばを歩き始めましたが、荒川・隅田川・中川・江戸川といった大きな川の位置関係でさえまだ朧げにしか知らず、都内の複雑な水色の線のどこから歩き始めようと戸惑うこともしばしばでした。

 

その時にわかりやすかったのが川の真ん中に都県境がある場所で、毛長川もその一つでした。

そしてやはりこの頃も川合に引かれていたのでしょう。毛長川を訪ねた日の記録に、「毛長川と綾瀬川そしてもう1本の川が合流する場所があり興味がわきました」と書いていました。

今から思うと「靴擦れができる」ほど散歩に不慣れだった頃で、この時には断念したのでした。

 

いつかその川合を歩いてみようと思いつつそのままになっていたのですが。中条堤で「毛長堤」を地図に見つけた時に、この辺りだろうとつながりました。

ただそれ以上、具体的にどのあたりかはなかなか見つけることができません。

 

2017年に毛長川沿いを歩いた時には、東京と埼玉を隔てる深く掘削された人工の川のように見えた記憶がありますが、どんな歴史があるのでしょう。

そしてどうやって江戸への洪水を防ぐことができたのでしょう。

これは実際に歩いてみたいものだと、2月初旬に出かけたのでした。

 

 

 

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