行間を読む 167 茶屋地区の引堤(ひきてい)

テレビからもうひとつ水害関係のニュースがあり、「熊本水害から2年、茶屋地区、子安地蔵、引堤という治水で茶屋地区が沈む」と散歩のメモに記録を残していました。

 

国土交通省の「河川用語集〜川のことば〜」によると、「川の流下能力を大きくするため、川の幅を拡大し既設の堤防を堤内地側に移動させることを引堤といいます」と書かれています。

 

「茶屋地区」で検索すると1年前に放送された「熊本豪雨から1年 ふるさとを失った女性が伝える災害の教訓」(「U-doki」、UMKテレビ宮崎、2021年7月10日放送)がありました。

球磨村の茶屋地区では約30軒あった住宅がほとんど球磨川の氾濫で流され、昨年、「大規模な治水対策として、かつて住宅が並んでいた茶屋地区周辺まで川幅を広げる計画を示した」ようです。

 

「茶屋地区」はどこだろうと地図で確認すると、人吉市の盆地のような場所から球磨川が狭い山あいに入ってすぐのところでしょうか。JR肥薩線渡駅那良口駅の間あたりのようです。

そこから今回断念した八代(やつしろ)市の干拓地へと急に平野部が広がるあの遥拝堰のあたりまで、地図では球磨川はずっと山あいを流れています。

 

近くにはキャンプ場も河原にあるようなので、ずっと川のすぐそばで暮らしが営まれてきた場所だろうかと想像しました。

あの豪雨がなければ、2年前に肥薩線の車窓からその風景を見る予定でした。

 

 

「引堤」

初めて知る言葉ですが、よくよく考えればいくつもの暴れ川を付け替えてきた関東平野は引堤の歴史の上に成り立っているという感じでしょうか。

時には水の神様もお引っ越しして川幅が広げられ、堤防が作られてきたのですね。

 

川面を眺めてぼっと過ごせる場所がたくさんあるのもそういう歴史の積み重ねでもあり、何かを失い何かを得るための葛藤の跡がそれぞれの場所にある、「引堤」という言葉から今まで歩いたさまざまな場所を思い出しました。

 

 

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