勝瑞城を訪ねたあと徳島の中心部へ戻るには列車でという方法もありますが、地図を眺めていたら水神社を見つけました。
勝瑞駅から東へ数百メートルのところで旧吉野川は今切川と分かれるのですが、その今切川が南へ流れながら大きく蛇行したところにその神社があります。体力が持てば是非訪ねてみたいと思っていたら、勝瑞城跡の近くのバス停からこの辺りを通る路線がちょうどありました。
初夏のような暑さの中、勝瑞城跡公園から東側の水路沿いをぐるりと回って勝瑞西バス停に戻りましたが、途中の水田や水路に癒され、ちょっと疲れて下を向いて歩いていると歩道のはじのタチツボスミレに元気づけられます。そしてやはりここでもフリージアを見かけました。
*今切川が大きく蛇行したところにある水神社*
15時49分のバスに乗りました。今切川を渡り右折してまっすぐ平地を南へ走り「フジグラン」というショッピングセンターで下車すると、目の前に今切川の堤防が見えてそばに水神社がありました。
静かな鎮守の森の参道を歩くと、立派な社殿があります。
紙に書かれた御由緒が濡れないようにパウチされて、掲げられていました。
水神社
主祭神は、水波能女神(みずはのめのかみ)・大海龍神(おおわだつみのかみ)です。
創建年代は不詳ですが、鯛浜地区には、今切川の氾濫洪水を恐れ、水神祠が点在し祀られていたと思います。これらの祠を合祀し社を建てたのは、約四百年位前ではないかと推測されます。明治八年、村社に列せられ、大正十三年、原地区の天満神社、出口地区の八坂神社、中野地区の事代神社の三社を合祀し、名実ともに、鯛浜の氏神様として崇敬されております。
令和元年五月吉日 水神社 総代会
境内に大きな石碑があるので近づいてみました。
神社改築記念碑
宗教法人「水神社」は、水波能女命大海瀧命を主神として奉斎し、公衆礼拝の施設を備え、神社神道に従って、祭祀を行い祭神の神徳をひろめ、本神社を崇敬する者及び神社神道を信奉するものを教化育成し、社会の福祉に寄与することを目的とする。
年経るままに社殿も老朽化するに至り氏子総代の人々より社殿改築の議起こりしがその改築資金ままならぬ時に、北島町より日清紡所有地と水神社境内地を含めた土地区画整理事業の協力を要請され、氏子総代相集い協力することに決し、老朽化した水神社本殿の改築も含めて計画した。日清紡及び氏子の方々のご寄付を受けて総工費六千七百八拾万円で拝殿幣殿の改築、境内地整備の大事業を完成した。
至誠通神
内親王敬宮愛子様生誕にあたり奉祝の誠を捧げここに氏子の人達の清き、明るき真心を後世に伝え氏子繁栄の更なるご加護あらん事を祈念して石碑に記す。
平成十四年九月(二〇〇二年)
鳴門へ向かうバス路線で、「日清紡前」と「鯛の浜」というバス停があった歴史を垣間見る内容ですね。
そしてWikipediaの「勝瑞城」に「かつては海岸線はもう少し内陸だった」と書かれているのがこの辺りでしょうか。
それにしても2002年の記念碑には水神社の御由緒にあるような今切川の氾濫や洪水の記述がないのは、やはり水害が人の意識に残らなくなった時代だったからでしょうか。
散歩の二日目は阿南から徳島、第十堰へ、そして鳴門からぐるりと旧吉野川を見て歩く充実した一日になりました。
水害が少なくなった時代に感謝してバスに乗り、今切川そして吉野川を越えて徳島駅につきました。
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