散歩をする 413 江戸崎から古渡バス停まで歩く

江戸崎から利根川の対岸の佐原まで直通のバスがあり、途中で稲敷市立歴史民俗館のあたりを通るようです。

地図で見ると、江戸崎を出て少し弧を描くように道路が通っていて、内側に小野川と挟まれた場所が「稲波」という地名で水田地帯のようです。

ここが気になってぜひ見てみたいと思っていましたが、江戸崎の街を歩いてからでは時間が足りなさそうなので、当初の計画ではバスの車窓から眺めることにしていました。

 

ところが、土浦から乗ったバスから見えた崖線の下に広がる水田地帯に、やはり実際に歩いてみたいと思い計画を変更しました。

 

バス停から街の方へと歩くとお菓子屋さんがありました。散歩の出だしからふらりと立ち寄って、カボチャあんの入ったお菓子を購入しました。またお昼ご飯を食べそびれるかもしれないので、非常食です。

ところが商店街を歩くとこのあともお饅頭やさんやお菓子屋さんがあって、どのお店も地元のお客さんらしき姿で賑わっていました。お菓子屋さんが元気な街は落ち着きますね。

 

まず大念寺を目指したのですが見上げる高さだったので断念し、五百羅漢を訪ねました。

瑞祥院の裏手に小高い場所があって竹藪の中の石段を登ると、目の前が開けて江戸崎の街が見えて、そこにたくさんの石像がありました。

五百羅漢(江戸崎町根宿)

 通称を羅漢山ともいい、羅漢山の夕照として江戸崎八景の一つに数えられる景勝の地である。

 この石像群は、豊島和七(としまわしち)が、盲目の兄の開眼祈祷を願い、日本国中六〇余州の神社、仏閣を巡拝し、大乗妙典(法華経)を奉納して宿願を果たし、仏恩に報じ一切衆生(いっさいしゅじょう)の功徳を発願して、当時の瑞祥院住職竜峰禅師と大黒屋庄兵衛など八名の世話人の協力により完成させたものである。

 安永九年(一七八〇)の発願から文化元年(一八〇四)の完成まで二四年の歳月を要している。寄進者は、信太、河内両郡はもちろん、下総、上総、江戸と広範囲に及び、五五二名が確認できる。

 現存する羅漢像は、四九三基で、その内に尊者名の刻まれているものが八〇基ある。また江戸の伊豆屋藤七と石工の名前が刻まれているものが一基ある。なお、願主の豊島和七は、文化八年(一八一一)に没している。

 平成二年三月 江戸崎町教育委員会

 

Wikipedia江戸崎町に書かれている以前の歴史ですが、以来たくさんの人がここに登り、石像と眼下の風景をどんな思いで眺めてきたのでしょうか。

 

苦悩の表情の石像もありましたが、どの顔もなんだか新生児と重なって見えました。

 

 

*小野川*

 

地図で見ると、小野川が一部広くなってそこに稲敷市リバーサイド公園があります。そこから先が霞ヶ浦まで水田地帯のようです。そこから目指す稲波へと向かうことにしました。

 

リバーサイド公園の手前に小さな川が合流していて「小野川桜づつみ」という石碑がありました。桜並木が整備されているようです。

ところが小野川本流は数百メートルほど東側を流れているので、こちらは支流のようです。

Wikipediaの「小野川」を読むと、「つくば市小野崎に源を発し」とあり、地図で辿るとたしかにはるばるつくばエクスプレスつくば駅の南あたりに水源があるようです。

1979年、小野川を稲荷川につなぐ人工河川が完成し通水が始まった。これは筑波研究学園都市の建設に伴い都市排水を考慮してのことであった。

Wikipedia、「小野川」「歴史」)

 

そこから入江のようになった水色の場所には、ボートが停泊していて水鳥がゆったりと泳いでいました。公園にはその水面をのんびりと眺められるようなベンチがありました。

 

近くにお蕎麦屋さんがあって、ふらりと立ち寄ってしまいました。やはり親子丼と天ざるのセットです。さすが霞ヶ浦だけあって、蓮根のフライがついていました。

美味しいお昼ご飯に元気が出ました。

 

*稲波を歩く*

 

先ほどバスで通過した道が高台を通っているのが見えます。

低地の方には稲波地区をぐるりと囲むように水路があるようで、そこを目指しました。

幹線水路のようで滔々と水が流れています。その水路に沿って家が並び、その東側には小野川との間に広い水田地帯が広がっています。

 

電柱に「想定浸水深 2.9m (赤いテープの高さ) この場所は霞ヶ浦がはん濫すると最大2.9m浸水する可能性があります 稲敷市」の表示がありました。

赤いテープは見上げる高さで、水路よりも少し低い所にある2階建ての家々の屋根ぐらいの高さでした。

 

霞ヶ浦がはん濫」というイメージが全く湧かなかったのですが、Wikipediaの「霞ヶ浦」の「近代」昭和13年の洪水が「霞ヶ浦の近代治水史上最大の大洪水が発生」とあり、さらにさかのぼると中条堤と同じく、1783年の浅間山の大噴火により利根川の流れが大きく変化したあたりも関係があるようです。

 

途中、幹線水路沿いに「江戸崎入土地改良区」とありました。

防火用水 地域を守る水

この用水路は小野川から導かれ江戸崎入干拓域の水面を潤す為、江戸崎入土地改良区により管理されている施設ですが、地域の防火機能も担っており本地域には欠かせない水となっております。〔この地域を守る水〕を汚すことなく大切に使いましょう。

 

やはり干拓地だったようです。いつ頃から開発されたのでしょう。

ぐっと東へと弧を描きながら水路沿いに歩くと、左手の高台を通っていた道路が同じ高さまで下がってきたところに水門がありました。

 

ここは江戸崎入第1排水機場です。

私たちの食生活を支えると共に地域の水を受け入れ、洪水を防止するほか酸性になった水を中和し、霞ヶ浦の生きものを守ります。

また、ここ江戸崎入地区には四季折々の美しい田園風景が広がっており、豊かな自然環境を守っていく上でも、重要な役割を果たしています。

本地区では、オオヒシクイの他、たくさんの生物を育んでいます。

これらの自然や景観は、農業が営まれることで維持保全されています。

地域の財産、自然景観を守りましょう。

 

最近では水路や水門のそばにもこうした説明板があるおかげで、その地域の地理や歴史や生活を知ることができるようになりました。

 

 

国道125号線を渡ると、霞ヶ浦が見えてきました。

小野川にかかる橋を渡るとそこからは霞ヶ浦です。ふと海の雰囲気を感じました。

 

橋の名前は「ふっとばし」で、ここで初めて目指すバス停の読み方は「古渡(ふっと)」バス停であることがわかりました。

古渡、どんな歴史があるのでしょう。

 

 

地図で見つけて気になっていた場所でしたが、実際に歩くことができました。

 

 

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