東海道新幹線で通過する都府県の中で、大きな川と大きな橋梁を最も多く渡るのが静岡県でしょうか。
東から富士川、安倍川、大井川、天竜川と通過していくときにはいつもずっと顔を窓につけるように眺めています。いつか4つのこの川の河口付近を歩いてみたいと地図を眺めるのですが、近くを通る公共交通機関が少ないのでいつのことになるでしょうか。
河口までは無理でも、せっかく富士市に行くのなら富士川のどこかを歩こうと思っていると、富士川を渡る東海道本線より上流500mほどのところの左岸に「雁堤」とあるのを見つけました。
読み方がわからず「かりつづみ」かなと思ったところ、「かりがねづつみ」と読むようです。
そしてその逆L字型の堤防の史跡らしい場所のすぐそばの川岸に、「水神社」を見つけました。
ここを見てみたい。計画ができました。
問題はその日はまず浮島沼に沿って歩きそのあと岳南鉄道沿線の湧水を訪ね歩きますから、どれだけ体力が残っているか、でした。
富士市を通過するときは「海が近くて広々と平地が続いている場所」という印象でしたが、半世紀ほど前までは浮島沼南縁の東海道沿いと北縁の現在の県道22号線沿いのわずかの土地だけが人の住める場所で、特にこの北縁側は道からすぐにけっこうな斜面になっていることが実際に歩いてみてわかりました。
富士市の湧水を訪ね歩くのは、ちょっとしたハイキングのような高低差を歩くことになりそうですからね。
でも雁堤と水神社、あきらめられませんでした。
*雁堤までにもたくさんの豊かな水路があった*
湧水を見て岳南鉄道原田駅に戻った時点ですでに18000歩でしたが、湧水で元気が出ましたから計画実行です。
柚木駅で下車すると数十メートルのところに6本の道の複雑な交差点がありました。富士山を見ていれば方向はわかると思っていたら、見事にそこで道を間違えて引き返しました。
かつては方向感覚に絶対の自信があったのに、散歩をするようになってからは地図と測量の科学館に行くのに道に迷ったりしばしば旅先で方向感覚や距離感がおかしくなるので、それまでの狭い生活圏の中での根拠のない自信だったようです。
交通量の多い県道396号線から堤防へ入る角に古い石碑と「道標と常夜灯」案内がありました。そこからは静かな住宅街でしたが、かつてはここを東海道が通っていたようです。
地図ではそのあたりに水色の線があったのですが、ここもまた豊かな水が流れていました。
すぐそばの富士川から取水した用水路だろうかと地図を見直すと、新富士駅の工場群の間を流れる潤井川からのようです。
どんな用水路と水田の歴史があったのでしょうか。
*雁堤の上を歩く*
水路の先に小高い場所と神社が見えてきました。
見上げるような堤防です。神社は堤防の一角にありました。
護所神社
古都孫太夫重政公父子の偉業雁堤の築造は、繰り返す富士川の洪水でしばしば欠潰流失の惨害を蒙るため、衆人は人柱の説をとり千人目の旅人を生きながら護岸の人柱とすることにきめた。
千人目に当たった旅僧はこれを快諾し、従容として人柱と化した。以来三百余年の今日まで遂に堤防の欠潰を見ず、住民はその徳を慕い「護所神社」としてその霊を祭った。
散歩をするようになってから干拓の汐止め作業のための人柱とか川の氾濫を鎮めるための人柱という記録にしばしば出会うのですが、記録に残らずに人柱になった方々のほうが多いのかもしれません。
人柱という言葉に立ちすくむような感覚については、まだ私も言葉にできないでいます。
雁堤まではほとんど歩く人と出会うこともなかったのに、堤防の上は散歩をする人がたくさんいました。
L字型の堤防のかつては押し寄せる川の水を受け止める側の方に、広々とした公園や市民農園のような場所が整備され、堤防の内側である南東側は住宅地になりところどころ水田が残っています。
高い堤防からは富士の裾野と富士市内が一望できました。
まっすぐ堤防を南西へと歩くと、富士川にぶつかるところに水神社が見えてきました。
だいぶ疲れてきましたが、雁堤の美しさにまた歩く元気が出ました。
「散歩をする」まとめはこちら。