井椋神社の参道の前に麦が広がる幻想的な風景でしたが、まだほんの15センチほどなのにしっかりと穂が実っていました。
こんなに低い背丈で実る麦もあるのですね。
麦畑が気になり始めたのは、2019年ごろから頻繁に乗っている新幹線の車窓の風景がきっかけでした。
特に上越新幹線で埼玉を通過した時に一面の麦秋の美しさが印象的でした。
そして、こんなに麦を栽培している地域があることを初めて知りました。
1960年代、子どもの頃の「麦」というと夏の麦茶か栄養的に白米だけではビタミン不足になるからと麦を混ぜてご飯を炊いていたので身近ではあったのですが、実際に栽培している場所を見ることはありませんでした。
水田地帯はどこでも見かけるのに、なぜ麦畑は身近ではなかったのか。
ここ半世紀ぐらいのかんがいの歴史などを知るうちに、武蔵野台地でさえ水を得ることが難しく昭和も後半の高度成長期までは米が2割から3割、それも陸稲米で冷えるとぼろぼろになる麦飯やかて米を常食とし、水田地帯の人たちから「麦は軽いから、風呂に入ると浮いてしまう」と言われるような、水を得られるかどうかで生活も大きく異なるような時代がごく最近まであったことにつながりました。
新幹線の車窓から見える早春の芝のように芽吹き始める風景、そして4月ごろにはさわさわと麦の穂が風に揺れ、6月ごろには一面黄金の世界になる風景は、「農地の高度利用」が可能になったことによることを知りました。
同じ地面なのに、魔法のような世界ですね。
ところで麦の生活史を知らないので検索したら、農研機構という機関のホームページに「麦類の一覧」がありました。
「短桿で多収」「もち性大麦の需要の高まりを受け東北北部に適する品種」「炊飯後に褐変しにくい画期的な”もち麦”」「製パン適性に優れた」など多種多様な麦があって、品種紹介のパンフレットを読むとその栽培方法が細かく書かれていました。
麦。
こんなに毎日食べているというのに、知らないことばかりでした。
安定して育て、収穫して流通させる。本当に大変なことですね。