米のあれこれ 64 砺波平野の種籾

庄川と散居村の散歩が終わり、新高岡駅から北陸新幹線に乗りました。

何本もの川や水路と美しい水田地帯が見えなくなるまで、名残惜しい気持ちでずっと眺めました。

 

「水の王国とやま」の中に、またまたお米について何も知らなかったと思うことが書かれていました。

種籾(たねもみ)って何?

種籾とは、水稲の種子のことです。種籾全国受託生産者の約6割を占める全国一の種籾生産県において、砺波市庄川町中野地区がその約5割を生産しています。約260年の歴史があり、コシヒカリササニシキといったメジャー品種は勿論のこと、全国43都道府県に約40品種の種籾を出荷しています。朝夕の露切り風や豊富な雪どけ水、水はけの良い土質などがこれを支えています。

(強調は引用者による)

 

用水路沿いを歩いた散居村のあたりが中野地区でしたが、全国の水田に実る稲穂の多くがここからの種籾を使用しているのですね。

種籾というのは全国それぞれの地域で作っているのだと思っていました。

 

*種籾交換の歴史*

 

庄川水資料館で購入した資料の「風の町 庄川」に、その歴史がまとめられていました。

種籾交換で 五ケ種が評判になる

 宝暦年間(1751〜) 豊かな実りをもとめて 他地区と種籾の交換栽培が始まります

 五ケ村付近の種籾は 発芽・苗の育ち・稲の生育・実りの収量等どれをとっても 非常に優れていることが 明らかになりました

 その上 病虫害の発生も 非常に少なく 五ケ種の評判は 各地に伝わりました

 

種籾交換が 盛んになる

 物々交換の種籾交換は やがて 米8合と籾1升となり 不作の年や新品種だと米1升と籾1升のこともありました

 五ケ村付近の農家では もっと多くの交換希望者が 自分の家に来るようにと 新品種導入を意欲的に行い 種籾生産に力を注いだのです

 

種籾取引は 個人から集団に

 取引には 県西部各地に 加賀や能登からも 個人や近所誘い合わせの人達が来ました

 明治になってからは 村落単位の取引が増え 五ケ村では 個人の対応から 組織の対応へと転換し 価格の統一・品種整理・共同販売の活動へと改めていったのです

 この取り組みで 信用が高まったのです

 

稲の香りに惹かれながらあちこちの水田を見て歩くようになりましたが、その種のことは思いつきませんでした。

 

 

 

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