水のあれこれ 327 明治神宮の北池

ツルボを見に明治神宮を訪ねようと思い地図を眺めていると、神宮御苑の清正井(きよまさのいど)以外に東池と北池と水色の場所がありました。

何度も見ていたのに、今まで気にも留めていませんでした。

 

今回はこの北池の方を訪ねてみようと思い立ち、ツルボを見たあとそのまま北参道へと向かいました。

広々とした芝生の向こうには新宿の高層ビルが見えます。芝生の間に歩道が整備されているのですが、けっこう起伏がある場所に驚きました。

どうやらその窪みのような場所の先に北池があるようです。

いったん鎮守の森に入り明治神宮武道場の方へと曲がると、弓道の大会があったのでしょうか、弓を持った人たちの一群とすれ違いました。

武道館の手前に北池を渡る石橋があり、森に囲まれて緑色の池の水面が見えました。

 

 

*北池の水はどこから来たのだろう*

 

地図では北池の西側の芝生のあたりから細い水色の線が池へと続いています。

Wikipediaの「明治神宮」には北池についての説明はありません。

 

検索すると、「東京の水 2005 Revisited 2015 Remaster Edition」に説明がありました。

北池に注ぐ小川

 

 明治神宮の敷地内、宝物殿のそばに「北池」に注ぐ200mほどの小川が流れています。一帯は江戸期は彦根藩井伊家の下屋敷で、明治時代には南豊崎御料地となり、草原や林が点在していたようです。そして大正に入って明治神宮として整備されました。宝物殿は1921年に完成しましたが、その正面の庭園とこの小川も同じ頃に整備されたものだといいます。ただ、明治初期の迅速測図には、谷戸を流れる川が描画されており、地形から判断しても、もともと水が流れていたのではと思われます。

 小川の水源は現在でも自然のものです。写真の奥、林の中にくぼみがあって、そこから水が染みだしています。比較的浅い谷のせいか水量は季節によって変化するそうで、枯れているときもあります。

 

(「【1-5】玉川上水原宿村分水 (2)神宮北池の流れと原宿村分水下流」、2015年11月27日)

 

代々木の原野の起伏から染み出した水が小さな流れになり、現在の明治神宮の池になっているようです。

 

ブログの地図によると現在の北参道のあたりに玉川上水からの分水路が流れていて、そこに北池の水源の小川の水が流れ込んでいたようです。

思わぬところで玉川上水とつながりました。

 

 

 

 

*おまけ*

 

この方のブログはこれまでもこちらの記事で引用させていただいたほか、都内の水に関して検索するとほぼたどりつく先人の記録です。

今回、サブタイトルにこう書かれていることに気づきました。

都内の川や暗渠、ひっそりと残る湧水を辿り、東京の原風景の痕跡に想いをよせる。

 

地の塩のような市井の人によって社会というのは守られているのだと、ふと思いました。

 

 

 

 

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