半日ぐらいこの水の資料館を眺めていたかったという名残り惜しさがありましたが、また来た道を戻って雨宮神社前のバス停へと戻りました。
稲の香りと美しい集落の先ほどと同じ風景ですが、1時間前とは違ってみえます。
朝5時半に家を出てわずか半日というのに、その地域の歴史を知ることで風景が激変してみえる。これだから散歩はやめられないですね。
バス停に戻った時はすでに9200歩になっていました。32度でしたが雨宮神社の鎮守の森のおかげで涼しく感じます。
13時53分、琴平駅から善通寺駅を結ぶコミュニティバスが来ました。女性が3人乗っています。
バスは財田川沿いを進みますが、青く澄んで水草まで見える川面、竹藪そして灰色の瓦屋根の美しい風景です。
切り通しのような場所を抜けると水田地帯と市街地になりました。
途中、赤いトラクターを追い越したのですが、80代か90代ぐらいの男性が運転しています。祖父を思い出しました。
こうして散歩の記録をまとめていて、借耕牛(かりこうし)とともに働いていた世代だったのだとつながりました。
途中のスーパーマーケットなどで次々と下車し、しばらくは一人になりました。
橋を渡って財田川の右岸の小高い場所をぐるぐると回り、途中、ため池がいくつかありました。
地図で確認すると、JR善通寺駅から北へ高瀬駅のあたりまで両側の山に沿って無数のため池があります。行く前は香川用水西幹線水路の範囲かと思っていたのですが、資料館の展示でこれは香川用水東幹線水路からの高瀬支線だとわかりました。
白っぽい土と明るい日差し、ああこれが祖父母の家を思い出させる私の瀬戸内海沿岸の風景です。
稲穂の美しい田んぼに満たされていると財田川を再び渡り、もうひとつ地図には名前がない小さな川を渡りました。満潮のようで、海水が上ってくるのが見えました。
小さな堰に、青鷺が佇んでいます。
14時40分、50分ほどのバスの車窓の散歩が終わり、善通寺駅に到着しました。
計画では駅から2.5kmほどのところにある干拓地を訪ねる予定でしたが、日差しが強く、途中バスを使ったとしても体力的に無理そうな気がしてきました。まだ4日間の日程の初日ですからね。
残念ながらまたやり残した宿題をつくり、早めに丸亀に移動することにしました。
*やり残した宿題が増える*
観音寺駅の南西の海岸に、いかにも干拓地という場所を地図で見つけました。
詳細がなかなかわからないまま「三豊干拓地」であり、大平元首相の辞が書かれた石碑があるらしいことがわかりました。
昭和40年(1965)ごろに「干陸」されたようですが、どのような経緯でできたのだろう、水源はどこなのだろうと気になってぜひ訪ねてみようと計画に入れたのでした。
この三豊干拓地の北東に流れるのが杵田川で、その上流に井関池と豊稔池があります。もしかするとこの干拓地の水源も、香川用水西幹線水路からの水でしょうか。
地図を見直していたら、この西幹線水路周辺のため池のある地域そして高瀬支線周辺のため池のある地域に、それぞれコミュニティバスがあるようです。
やり残した宿題が増えました。困りましたね。
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