以前はこういう資料館の土木技術的な展示は、なんせ数学と物理が苦手なのでサッと見るだけか素通りしていました。
少しずつ独特の用語が頭に入り、最近はどうやってため池をつくるのだろう、暴れ川や川風のなか、どうやって水門や用水路を造って維持管理するのだろうと従事している人の生活への関心から立ち止まるようになりました。
*ため池や水路を造り守る仕事*
展示の中に昔のため池のつくりかたがありました。
昔の堤防は土を搗き固めた「均一式工法」
讃岐のため池は大部分が藩政時代に築造または増築、改築されたものです。
その堤防は、杵(きね)または亀ノ子石(胴石)を使って人手で入念に土を搗き固める均一式工法によって築かれています。ため池から取水するための樋管(ユル)は木製で、堤防斜面に伏設する堅樋(かたひ、たてユル)と、これを堤外に引き出す底樋(そこひ、そこユル)からなっています。堅樋には数ヵ所の孔(あな)があり、ユル木という木栓を引き抜くことで水が堤外に流れ出ます。上図のスッポンユルは、小ため池用の簡易型取水施設で、丸太の内部をくり抜いたものを使用しています。
図は一見単純な技術に見えるのですが、これを何十年、何世紀も維持するための知識や技術があるからこその、あのため池がたくさんある風景ですね。どれだけの方がこの維持管理の仕事をされているのでしょう、なんだか圧倒されます。
そして展示の最後は現在の導水路についてです。
徳島県の池田ダムからこの東西分水工までの阿讃導水トンネル断面図があり、よく見ると徳島県川の横径は「3.50m」に対して、香川県側は「3.70m」でトンネルの形も異なります。
何で20センチ違うのでしょう。小学生のように質問したいところをぐっとこらえて、先へ進みました。
*年間の水量を調整する仕事*
年間導水量の変化 ため池の活用で取水ピークを調整
農業用水の導入水量は期別で変化します。通常、農業用水の取水ピークは田植えの時期になりますが、香川用水からの導入水量のピークは田植えが終わってから。これは、田植えの時期に、ため池の水を活用し調整しているからです。
ため池の「水の歳時記」にあった「ため池の水を放水して田植えを開始する初ユル抜き」ですね。
香川用水からの上水道・工業用水は年間を通して一定の水量に対し、農業用水は6月から9月の灌漑期には「1億5000トン」「最大11.3m3/sec」と急激に増えています。
見当もつかない量ですが、どうやって香川県内隅々まで正確に水を行き届かせているのでしょう。
香川用水は、吉野川総合開発の一環として、昭和43~56年に施工された一大水利事業です。吉野川上流の早明浦ダムで確保した水を池田ダムを経由して取水し、阿讃導水トンネルおよび東西両幹線水路を通じて讃岐平野に導いています。その水量は年間2億4700万トン。
早明浦ダムで生み出される水量の約29パーセントにあたります。
香川用水は先人が残したため池をフルに活用することで、貯水の確保や配水の管理を円滑にしています。
ひとくちに水利施設といっても、こうしたため池が多い地域とため池がない地域ではまた水の管理のための知識も経験も違うことでしょう。
ひとつひとつの仕事についてどのような専門性が必要なのだろう、それぞれの仕事の新人から達人への経験はどのように蓄積されていくのだろう。
なんだか圧倒されながら資料館を後にしました。
外に出ると、あの柵の中に白く塗装された幹線水路が北東へと山裾を這うように流れています。
長野第2開水路
ここは早明浦ダムから約70km、池田ダムから約8km地点です。
長大な水路ですね。水路の断面図には幅4.2m×深さ3.3mとあり、「最大通水量:14.3m3/s」とありました。
そばに道が続いていて「立ち入り禁止」とは書かれていないようなので少しだけ歩いてみようかと思ったところに、ちょうど何かの作業のための車両が入ってきたのでやめました。
この方たちはどういうきっかけでこの仕事に従事されるようになったのでしょう。
もし人生をやり直せるのであれば、こういう水利施設の仕事もしてみたかったなと思うこの頃です。
1970年代半ばの女子高校生は、こういう仕事について全く知らなかったのでした。
ただし、やはり男女間の体力差は歴然としているので、葛藤はありますけれど。
「仕事とは何か」まとめはこちら。