行間を読む 197 皇居東御苑の「雑木林」

都内に住んでいると、たまに東京駅の近くに行くことはあっても案外と皇居周辺は行かないものかもしれません。

ここ数年、都内の川や水路からあちこちを散歩するようになって皇居周辺の地図をよく眺めるようになりました。

 

江戸城のお堀の水は玉川上水の水も引かれていることと、北側は神田川と神田上水が関係していることを想像できるくらいで、なかなか江戸時代からの変遷は思い描けないままです。

 

お堀がどうなっているのか地図を眺めているうちに、竹橋のあたりに一般公開されている東御苑があることを知りましたが、おそらくきっちりと整備されて高価な珍しい草花の植物園だろうというイメージでした。

まさかツルボが咲き乱れる原っぱと雑木林だったとは。

 

案内板には「都道府県の木」「二の丸雑木林」「二の丸庭園」「菖蒲園」「新雑木林」「秋の七草」とかかれていました。

もしかするとあのツルボは、「都道府県の木」の土と一緒に皇居に運ばれて広がったのではないかと想像しましたが、どこから来たのでしょう。不思議な広がり方ですね。

 

 

*東御苑の歴史*

 

Wikipediaの「皇居東御苑」の沿革を読むと、ちょうど私が生まれた頃から整備され始めたようです。

1961年(昭和36年) 皇居東御苑の造成が始まる。

 

その後、昭和天皇、平成天皇と少しずつ御苑が形作られて今日に至っているようです。

1983年(昭和58年) 昭和天皇の発意により、二の丸に雑木林の造成を開始。

1995年(平成7年)  天皇の発意により、苑内の草木に、和名と科名・学名を記載した植物の名札がつけられる。

1996年(平成8年)  天皇の発意により、本丸に竹林及びバラ園を造成。

 

「概要」に雑木林のような雰囲気の理由が書かれていました。

全域を宮内庁が管轄し、1968年10月1日から宮中行事に支障がない限り一般に公開されている。苑内は自然が豊かで、昭和天皇の発意により武蔵野の自然を再現した二の丸雑木林や、果樹の古品種園、上皇明仁の所望でヒレナガニシキゴイが放流されている池などがある。このほか日本庭園や皇室関連の施設、江戸城内の遺構など歴史的な史跡も見ることができ、国内のみならず、海外からの旅行者も多く訪れる。

 

武蔵野の自然を再現した二の丸雑木林。

ああ、まさに。子どもの頃の林の記憶が蘇るほどの再現性で、社叢という言葉につながりました。

栄華や権威とは対極の、非常に科学的であり学術的であの場所そのものが博物館や資料館のような場所なのでした。

そして植樹祭の歴史とも重なりました。

 

多くの入場者がいましたが、あの明治神宮の森と同じように世間の騒々しさが全く感じられない荘厳な風致に誰一人はしゃいだり大きな声を出す人もなく、静かに静かに圧倒されていた印象でした。

 

それから3ヶ月ほどたって、観光のために江戸城天守閣を再現するという話題がありました。あの静寂な場所を壊さないでほしいと思うとともに、それは「再現」ではないと思ったのでした。

 

あの場所には目の前にはないけれど、歴史がたくさん見える場所なのですからね。

 

 

 

 

「行間を読む」まとめはこちら