食べるということ 95 渋沢栄一が好きだった煮ぼうとう

渋沢栄一氏の生家の隣にあるお店で、煮ぼうとうを食べることにしました。

 

ほうとうといえば山梨県ですが、子どもの頃に山梨を訪ねて食べた記憶があります。母の好みに合ったようで、その後時々食卓にのぼるようになったのでした。野菜がたっぷり入ってかぼちゃが味噌味を引き立てて、当時は肉はまだ贅沢だったので油揚げがコクを出していました。

今回、深谷を訪ねる計画を立てている時に煮ぼうとうがあり、時間が合えば食べてみようと思ったのでした。

 

ちょっと奮発して煮ぼうとうととろろご飯を頼みました。次から次へと生家を訪れる人が食べに入るので、観光地のそれなりの内容だろうと思いながら料理が来るのを待っていました。

煮ぼうとうは想像をはるかに超えて、ていねいに料理されていてそれはそれは美味しいものでした。

そして食べ物がたくさんある現代では質素なのに、あの子どもの頃の満たされる美味しさが蘇ってくるものでした。

 

箸袋に「渋沢栄一翁 夢七訓」が印刷されていて、記念に持ち帰りました。

夢なき者は 理想なし

理想なき者は 信念なし

信念なき者は 計画なし

計画なき者は 実行なし

実行なき者は 成果なし

成果なき者は 幸福なし

故に幸福を求める者は夢なかるべからず

 

*生家を訪ねて、「渋沢栄一が好きだった煮ぼうとう」の意味を理解した*

 

この箸袋と当日の散歩の記録のメモから、そうだあの日は渋沢栄一氏についてはネット上でもその人を知ることができるだろうからと生家は素通りしようとしていたのだと思い出しました。

お腹も空いたので「渋沢栄一が好きだった煮ぼうとう」を食べて、そのあとは次の場所に向かうつもりでした。

 

ところがその箸袋を読み煮ぼうとうを食べたら気持ちが変わってふらりと生家に立ち寄り、こんなことをメモしていました。

江戸時代中頃、暴れ川によって藍が育っていた

父、藍で村全体が豊かになればと栄一の自由を許してくれた

世襲とは対極

ただの偉人物語ではなかった

国民全体が平等で役人が上ではない

個人の富はすなわち国家の益である

 

やはり明治というのは、とてつもない変化が起きた時代だったようです。

私が高校時代までに学んだ「江戸幕府を倒し明治時代になった」「文明開花」といったことでは言いあらわし尽くせない普遍性が広がった時代だったのですね。

 

煮ぼうとうを食べに立ち寄っていなかったら、客寄せのための観光地メニューと思い込んでいたことでしょう。

そしてこのあとネギ畑が広がる血洗島を歩いてもただの田園風景にしか見えなかったかもしれません。

 

 

あれはやはり渋沢栄一氏が好きだった煮ぼうとうなのだと、生家に立ち寄って理解できたような気がしました。

 

 

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