北陸道の海辺をまわって、さぞかし美味しいものを食べたかと思われたかもしれませんね。
散歩のメモを読み返して、自分でもあちゃーと思うほど「北陸道で食べられなかったもの」の記録になりそうです。
散歩の1日目、東京駅の焼き立てのパンの香りに、すでにお腹が空き始めましたがまだお店は開いていません。
いやいや、今日は北陸で美味しいものを食べるのだ、そのためには空腹も大事と北陸新幹線に乗り込みました。
穴水でちょうどお昼ご飯どきだったので、ふらりと見つけたお店で地元のご飯を食べられたらと期待していました。
でもお店で食べると、少なくとも30〜40分は時間が必要ですね。
「腹が減った」とテーマソングが頭の中で流れながら、これから能登半島の海岸線を回るバスの時間に間に合いそうにありません。
駅の中に道の駅が隣接されていたので、おにぎりでもと思って立ち寄りました。
地元のお店が作っているにぎり寿司とのり巻きのセットで、なんと500円、道の駅内のイートインで食べました。とても美味しかった!
その日の夜は和倉温泉で宿泊と書くと、さぞかし豪華な料理と思われるかもしれませんが、私の散歩はいつも素泊まりのビジネスホテルです。
夜はもともと軽くですし、歩きまわったあとは疲れているので部屋でのんびりしたいという感じ。
*幻のサバ焼き定食*
せっかくの北陸の散歩ですから、2日目にはぜひという食事を考えていました。
小浜ではちゃんとお昼ご飯をお店に入って食べる計画でした。
小浜といえば鯖街道です。
1990年代半ばに村井さんたちと小浜を訪ねた時に、初めてこの言葉を知りました。みんないろいろなことを知っているのだと驚きましたし、歴史を知って訪ねると楽しいのだろうなと、うらやましく思ったのでした。
あれから四半世紀経っても、鯖江と間違うぐらい表層的な知識のままです。
今回も最初は「小浜で美味しい鯖を」と思って、Wikipediaを読み返しました。
鉄道や自動車が普及する以前の時代には、若狭湾で取れたサバは行商人に担がれて徒歩で京都に運ばれた。冷凍技術のなかった当時は、生サバを塩でしめて陸送する方法が取られ、京都まで輸送するのに丸1日を要したが、京都に着く頃にはちょうど良い塩加減になり、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている。
そうそう、こんな話を25年前に知ったのでした。
夏期は運び手が多く、冬期は寒冷な峠を超えることから運び手は少なかったといわれている。運び手の中には冬の峠越えのさなかに命を落とす者もいた。しかし、冬に針畑峠を越えて運ばれた鯖は寒さと塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされている。
小浜の鯖は新鮮さ、運び込まれた京都ではさらに旨味が増すわけですから、食べるのなら京都なのでしょうか。
それでも、25年前の活気のあった魚市場のことが思い出されて、美味しい魚を食べようと歩き始めました。
駅から10分ほど歩いたところで、「鯖焼き定食」の看板とともに良い香りが。
ここに入れば良かったのですが、ついつい河口付近まで歩こうと思ったためにこの機を逃しました。
あの時、まずここでお昼ご飯を食べて、そして小浜湾を眺めていたら・・・。結局は幻のサバ焼き定食になり、河口まで歩く計画も逃したのでした。
空腹と歩き疲れとで、ふらふらになりながら、コンビニで押し寿司とおにぎりを購入。
これが2日目のお昼ご飯になりました。
駅のロータリーで、近江今津行きのバスを見つけました。
ここから琵琶湖までのバスがあるようです。Wikipediaの「鯖街道の経路」に書かれている「琵琶湖経由のルート」を通るのでしょうか。また、次の散歩の計画ができてしまいました。
*2日目に食べたもの*
「小腹が空いたときのために」と購入し、特急しらさぎに乗り込みんだのですが、誘惑に負けて敦賀までの間に食べてしまいましたが、これは美味しかったです。
これを食べていなかったら、小浜で空腹に耐えながら歩くことはできなかったかもしれません。
そしてコンビニで買ったおにぎりも、本当に涙が出るほどありがたくいただきました。
おにぎりはありがたいですね。
新鮮な海の幸は幻となりましたが、それもまた散歩の思い出の醍醐味ということで。
西舞鶴駅から特急まいづるに乗って京都へ向かい、夕飯は京都で何かお弁当でも買って帰ろうと思っていたのですが、この特急の中が少々寒くてむしょうに温かいものが食べたくなりました。
以前、京都駅で見た駅そばのお店を思い出し、特急を降りた後に直行しました。
なんととり天のうどんがありました。関西風の出汁ととり天、からだも温まったし、ほんと美味しかった。
「北陸道で食べられなかったもの」ではなく、やっぱり「食べられたもの」の記録ですね。
「食べるということ」まとめはこちら。