氾濫原だった集落を抜けて堤防の上に出ました。
青々とした川面が見えると思ったのですが河川敷は防水林で覆われていて、どこが利根川かそして並行して流れる御陣場川かもまったくわかりません。
林を見下ろすように堤防の上を歩いていると、少し先に水門らしき場所が見えました。案内板も見えるので、おそらくあそこが現在の備前渠用水の取水口でしょうか。
近づくと、轟々と水の流れる水路がありました。
残念ながら案内板の文字は日に焼けて読めませんでしたが、ここを見ることができただけでも満足です。
堤防の内側に続く水路の近くに石碑があるので近づいてみました。
「備前渠用水改良工事竣工記念碑」で、そばに「世界かんがい施設遺産に備前渠用水路が登録されました」と書かれていて、「水源林と備前渠用水ー第3樋門ー」という大きな案内板もありました。
備前渠用水路とは
備前渠用水路は慶長9(1604)年に関東郡代伊奈備前の守が江戸幕府の命によって開削した埼玉県でも最古級の農業用水路です。この用水路によって北武蔵利根川右岸地域は一挙に潤うことになりました。現在でも当時の面影を残す「素掘り」の区間が多く周辺住民からは「備前掘」の愛称で親しまれています。
備前渠用水路
⚫︎取水源 利根川
⚫︎幹線水路延長 約23km
⚫︎受益面積 1,400ha
⚫︎取水量(最大) 9.185m3/秒
⚫︎設備概要 取入水門、第3樋門、矢島堰
案内図を見るともう少し北西に取入水門があり、ここは取水口ではなく第3樋門のようです。
受益面積や取水量がどれだけすごいのか全く想像がつかないのですが、その案内板を見ると本庄市から熊谷市にかけて利根川右岸地域に何本も用水路が分岐して潤しているようです。
利根川についての説明も書かれていました。
利根川の水源
坂東太郎と言われた利根川。
利根川は、関東平野を北西から南東へ、長野県、群馬県、栃木県、茨城県、埼玉県、千葉県東京都に跨って流れ、その流域面積は約16,840㎢で、日本最大です。全長は約322kmで、日本第二位(一位は信濃川)の長さがあります。
日本三大暴れ川の一つに数えられていて、古くから、何度も氾濫と流路の変更を繰り返し、現在に至るまで様々な治水事業が行われています。
そうでした。私も「流域の一員」でした。
河道が定まらないなんて怖いことを耳にすることも無くなったのも、水争いの悲惨な話も過去の記録になったのも、歴史の中ではごく最近のことですね。
案内板や石碑がなければどこでも見るような水路ですが、17世紀初頭に伊奈備前守はどうやってここから現代にも使われるような用水路の開削を見定めることができたのでしょうか。
訪ねてみてよかったと思いながら、真っ青な秋空に水路沿いのコスモスが美しい備前渠用水に沿って歩き始めました。
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