行間を読む 184 「利根川宣言2000」

 散歩の2日目佐原駅の近くから本宿耕地を目指して歩き始めましたが、その途中の小野川のそばの公園に「千葉県治水百年記念事業実行委員会」と書かれた小さな木柱が隅の方にひっそりとありました。

 

検索すると、国土交通省の資料で「利根川宣言2000」がありました。

 

   利根川宣言2000

 

 明治33年に、近代治水事業が利根川に始まって百年目であり、また二十世紀最後の年である今、利根川流域の1都5県の知事が一堂に会して、これまでの百年の歩みを踏まえ、来るべき二十一世紀の利根川の未来像について様々に語り合いました。そこには今後の利根川をめぐる様々な課題、可能性そして夢があります。

 内包する課題を解決する延長上に、無限の可能性や夢を膨らませていく。そのようなことを一歩一歩進めていくことが、よりよい利根川と住みよい地域を次の世代に着実に引き継ぐことに繋がるものと、強く確信いたしました。

 322キロメートルの長さと、1万六千平方キロメートルあまりの流域を持つ、我が国屈指の大河、利根川。一つの川で結ばれたこの地域に住む全ての人々が、様々な視点から利根川と自らの関係を確信し、そしてさらにお互いの関係を認識した上で、利根川を思いやり、心を一つにして、豊かな利根川の自然環境と恵みを未来の世代に受け継いでいくために、次のとおり宣言します。

 

一 「一人ひとりが流域の一員」との考え方のもと、利根川と自らの関係を確認します。

   そしてそれこそが原点です。

二 「流域は一つ」との考えのもと、利根川の流域を構成する様々な地域や立場の人々と自らの関係に想いを馳せ、お互いにそれを認識します。

三 「市民」「地域」「行政」それぞれの間で、緊密な連携を様々に展開します。

四 こうして培われた利根川との絆を、新たな二十一世紀を担う次の世代に確実にバトンタッチします。 

 

「近代治水が利根川に始まって百年目」の記念事業だったようです。

 

2000年(平成12年)、私は30代終わりの頃で公共事業の歴史を全く知らずに批判から入っていた頃でした。

江戸時代からの利根川流域の治水事業の歴史も知らず、江戸時代だけでなく昭和の初め頃までさえも「未熟な土木技術の時代」だったと思い込んでしました。

 

そして利根川など関東にある大きな河川は「自然な川」だと思って、自然か人工かという捉え方しかしていませんでした。

地球の歴史の中ではホンの少し前は海で、そこから少しずつ関東平野が出来上がっていく中で暴れる川の流路を変え、何度も洪水で住む場所や産業が失われていく中で「流域」ができあがってきたことさえ知らなかったのでした。

 

玉川上水や見沼代用水などの歴史を見ても江戸時代の測量や土木技術もすごいのですが、明治以降の「流域」を正確に把握することや気象観測や防災体制の進歩は、驚異的な変化ですね・

 

治水も利水も、水争いなど流域の関係を調整することは本当に大変だったのだろうと思います。

「家や村のため」から人類のためへと普遍的なとらえ方が広がったから、「流域は一つ」と都県を越えて、あるいは「市民、地域、行政」で一緒に川を考えることができるようになったとも言えるかもしれませんね。

 

私は利根川からはだいぶ遠いところで生活していますが都内の水道は利根川水系無くして成り立たないし、生活の隅々まで利根川の流域と繋がっていることを感じますから私も「利根川の流域の一員」ですね。

 

2000年、つい先ごろの話と思っていたのですがもうかれこれ四半世紀経っていました。

当時、この文章を読んでも私には理解できず読み流してしまっただろうなと思います。

そしてこの当時に比べると、「公共事業は無駄」という社会の雰囲気が落ち着き、大きな災害に備えようあるいは社会基盤の維持・整備は大事という意識が定着したことが進歩の一つかもしれません。

 

 

 

 

 

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