念願の大井川河口と大井川港のあたりや左岸の水田地帯そして大井川の堤防沿いを歩いて満足し、東海道本線浜松行きに乗りました。
計画では袋井駅で途中下車し、東から西へと流れる逆川が大きく南へと流れを変えるあたりに地図で見つけた「水神社」を訪ねる予定でしたが、23000歩を超えて疲れたのでいつか次回にということでそのままホテルへと向いました。
今回の散歩の宿泊地はその名も「天竜川」駅の近くです。天竜川右岸の堤防からほど近い地域で、いつか歩いてみたいと思っていました。
駅周辺は比較的新しい住宅地で、元々は水田地帯だったように見えます。
ヒジャブをかぶった女性とお子さんとすれ違いました。日本へ働きにいらっしゃっているのでしょうか。
ホテルの窓からは、天竜川と先ほどまで乗っていた東海道本線の緑の美しい鉄橋が見えます。
そして少し離れたところを東海道新幹線が通過するのを、またあきもせずに眺めていました。
*湖西用水はどのあたりかほとんどわからないままの散歩へ*
散歩の二日目は天竜川流域ではなく、豊川用水東部幹線水路を訪ねたときのやり残しの宿題をするために東海道本線で新所原(しんじょはら)駅へ向かいました。
2019年に天浜線をぐるりと全線乗った時に豊橋への乗り換えで利用しましたが、ほとんど駅周辺の記憶がありません。
ただ、このあたりから徐々に灰色の瓦屋根や白っぽい土が増えて、関東から関西へと変わっていくような印象があるのと、県境である小さな境川のあたりをいつか歩いてみたいと思っていました。
水に乏しかった渥美半島の遠州灘に面した地域を、ジャワのような農村にするという一世紀前には「ホラ」とされた豊川用水構想が実現しただけでなく、天竜川の水も利用し、さらに用水路が県境を超えて湖西用水として利用されていることを知りました。
それで地図を拡大しながら見つけたのが白須賀地区の小さな水色の四角に「湖西用水」と記載があった場所でした。
もう一箇所、新居町駅の近くの水路に「湖西用水」とあったのを見つけたのですが、以来つぶさに地図を眺めてももう見つけられません。
豊川用水東部幹線水路自体が暗渠やトンネルでの導水区間が多く、また人が近づくのを許さないような場所で幻の水路を歩く散歩になりましたから、今回もまた実際にはそばを歩くことはできないかもしれません。
湖西用水で検索してもほとんど説明を見つけられない中、中日新聞の記事がヒントになりました。
湖西のアルバム<21> 「白須賀」 乾燥地 潤した大根
2023年3月30日
湖西市白須賀の海を見渡す高台。冬から春にかけ、畑一面にキャベツが並ぶ。ところが一九五五年ごろは全く別の景色があった。当時、冬の主な作物は乾燥に強い大根。地元農協に長年勤め、白須賀の農業に詳しい森良秋さん(90)が解説する。(鈴木太郎)
白須賀は農業用水の確保に苦労した土地。伝統的に乾燥に強い作物が作られてきた。戦前は養蚕のための桑畑だった。戦中は食糧確保のためサツマイモを増産した。戦後は水はけの良い赤土を好む大根が生産の主流を占めた。
大根は切り干しや漬物に加工して出荷。五五年には、県の補助を受けて地区内にたくあん加工場ができ、生産が本格化した。大阪から指導者を招き、長野から出稼ぎの女性…
残念ながら有料記事でここまででしたが、「湖西用水」で検索したのでやはりこの地域を通っているようです。
新幹線の車窓からは、浜名湖を越えるとじきに丘陵地帯に入り、山中にスズキの工場が見えたあと少し開けた地域になり、ソニーなどの工場となだらかな丘陵を開墾したような畑地が見えます。
このあたりが湖西用水が送られている地域のようです。
新幹線の南側にある白須賀地区には水路の一部が描かれ、そして遠州灘沿いの地域には海に並行して用水路が真っ直ぐ描かれてますが、湖西用水に違いありません。
新所原駅からスタートして遠州灘へ出て、そこから新居町駅まで歩いてみよう。
それが二日目の散歩の前半の計画でした。
果たして湖西用水を見つけることはできるでしょうか。
また幻の水路に終わったとしてもその水で潤った農地を歩くことが出来れば満足、何より新幹線の車窓から見えた風景を歩くのですからね。
「水のあれこれ」まとめはこちら。
新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記事のまとめはこちら。