表題の「母乳哲学の十か条」という表現は、前回の記事で紹介した「母性のゆくえ 『よき母』はどう語られるのか」(春秋社)の中で著者のバダンテール氏が、ラ・レーチェ・リーグが1985年に出した十か条を「母乳哲学の基本となる十か条」と書いているところからとりました。
それを紹介する前に、1989年にWHO/UNICEFが出した「母乳育児を成功させるための10か条」をみていきたいと思います。
<母乳育児を成功させるための10か条>
長くなりますが、全文掲載します。
1.母乳育児の方針をすべての医療に関わっている人に、常に知らせること
2.すべての医療従事者に母乳育児をするために必要な知識と技術を教えること
3.すべての妊婦に母乳育児の良い点とその授乳方法をよく知らせること
4.母親が分娩後30分以内に母乳を飲ませられるように援助をすること
5.母親の指導を十分に、もし赤ちゃんから離れることがあっても母乳の分泌を維持する方法を教えてあげること
6.医学的な必要がないのに母乳以外のもの、水分、糖水、人工乳を与えないこと
7.母子同室にすること。赤ちゃんと母親が一日中24時間、一緒にいられるようにすること
8.赤ちゃんが欲しがるときに、欲しがるままに授乳をすすめること
9.母乳を飲んでいる赤ちゃんにゴムの乳首やおしゃぶりを与えないこと
10. 母乳育児のための支援グループをつくって援助し、退院する母親にこのようなグループを紹介すること
WHO/UNICEFが上記の共同声明を出したのが1989年ですが、その2〜3年後に私が勤務していた病院ではすでにこの内容を意識した方法をとっていました。
ただし「完全母乳」という言葉はなかったし、上記の共同声明を「守るべき」ものというよりは、ここまでミルクを足さなくても大丈夫なのかと自律授乳の方法に切り替えるための道しるべのような感じで受け止めていました。
現在のようにネットや書物で新しい情報や方法が広がる時代ではなかったので、一般の病院に広がるにはまだ10年ほど必要だったような印象があります。
「医学的必要がないのに」という点も、出生後の生理的体重減少が10%まではなんとかミルクを足さなくても大丈夫らしいという意味ぐらいに受け止めていましたし、哺乳ビンと人工乳首を使うことにも現在ほどの拒否感も現場にはなかったと思います。
HIVやHTLV-1など母乳を介しての感染などの研究も進んできた時代だったので、母乳の利点は理解しつつ人工乳だけにする必要性がある場合があることとまだ未知の母乳を介しての感染症もあり得るということも認識した時代でした。
そしてこのWHO/UNICEFの10か条はあくまでも途上国の乳児死亡率を減らすためのものと当時の私自身は考えていましたが、その後、日本でも「産科関係者が守るべきもの」のように無言の圧力のようなものを感じ始めました。
<ラ・レーチェ・リーグ 母乳哲学の基本となる10か条>
2000年頃から、それまでの「できるだけ母乳を続けられるように援助しよう」という雰囲気から、「ミルクは飲ませない」「哺乳ビンは使わせない」「完全母乳」という流れが出始めたように記憶しています。
それまでの10年で、上記のWHO/UNICEFの共同声明の内容に近いことを実施してもやはりミルクは必要という結論に自分自身は達し始めていたので、急に世の中に広がりだしたこの窮屈な流れはどこから来ているのだろうとずっと不思議に思っていました。
昨年この「母性のゆくえ」でラ・レーチェ・リーグの10か条と「母乳育児の十戒」の存在を知って、完全母乳を勧める方向性に大きな影響を与えてきたことを初めて理解しました。
1985年にラ・レーチェ・リーグが出した10か条を引用します。
1.母乳育児は乳幼児の要求を理解し、乳幼児を満足させる最も自然で効果的な方法である。
2.子どもと母親はきわめて早い時点で接触することが必要である。その主な理由は母親が適切に母乳を与えるのを可能にするためであり、満たされた母子関係を築くためである。
3.乳幼児にとって母親と一緒にいることが最も必要なのは、生後数年間である。その必要性は乳幼児が栄養を必要とするのと同じくらい本質的なものである。
4.母乳は子どもにとっても最高の栄養である。
5.乳幼児が完全に健康であるために唯一必要なのは母乳である。生後6ヵ月前後に、乳幼児が離乳食を食べたいという意思を示すまで、母乳のみが必要な栄養である。
6.母乳育児は、乳幼児が欲しいと意思表示をする限りずっと続けることが理想である。
7.母親が出産に積極的に関与すること(すなわち自然出産)によって、母乳育児はよい状態で開始しやすくなる。
8.母乳育児の遂行と母子関係は乳幼児の父親の助けと愛情によってさらに揺るぎないものとなる。
9.よい栄養は自然が生み出すものから作られた食事によって得ることができる。
10. 子どもというのは生まれながらにして、自分を励まし、自分の気持ちを聞いてくれるやさしい両親を必要としている。
<母乳至上主義の政治戦略>
1979年からラ・レーチェ・リーグはWHO/UNICEFの共同会議に代表者を送るほどの団体になっていったようです。
ラ・レーチェ・リーグは様々な国に広がっているが、まず、母乳育児が衰退した原因を特定している。(母乳育児の情報や母親への支援が不足していること、母乳育児を温かく見守ることのできない厳しい社会、保健衛生の専門家の学習不足、代替ミルク、哺乳ビン、おしゃぶりの過剰な宣伝)。
その上で、各国リーグが足並みを揃えて活動しているのだ。戦わなければならない最初の敵は、1960〜70年代に市場を席巻した粉ミルク業界であった。貧しい国々での粉ミルクの使用が悲惨な結果を生み出していることがはっきりすると、ラ・レーチェ・リーグが掲げる大義は決定的な得点をかせぐことになる。
汚れた水や衛生状態、高温の気候は、代替ミルクを死に至らしめる毒に変えてしまう。WHOやユニセフはここぞとばかりにその問題に食い付き、決して離そうとしなかった。こうしてラ・レーチェ・リーグは思わぬ支援を得ることになる。(「母性のゆくえ」p.117)
ラ・レーチェ・リーグの10か条もそれを信じたい人が信じる分には自由です。
ところが国際機関を動かし、医療従事者を巻き込む力となったときにはそれは信念を正義として押し付ける力にもなり得ます。
WHO/UNICEFの母乳育児を成功させるための10か条も、母乳育児を始める段階では多少役にたっても決して現実的な手助けにはならないこと、実際にはミルクも哺乳ビンも必要であることを、私自身、失敗を重ねながら実感しています。
その失敗談は後日書いてみようと思いますが・・・。
そんな私でも、入院中にお母さんにミルクを作って渡すときに、「ミルクを足した」「哺乳ビンを使った」とどこからともなく監視されているような息苦しさを感じています。
そんな世の中の風潮は、決してお母さんと赤ちゃんを幸せにするものではないと思っています。
「完全母乳という言葉を問い直す」まとめはこちら。