完全母乳という言葉を問い直す 10 <母乳育児の十戒>

「母性のゆくえ 『よき母』はどう語られるか」エリザベート・バダンテール(松永りえ訳、春秋社 2011年3月)の中で、ラ・レーチェ・リーグのインターネットサイトの英語版で、「母乳育児の十戒」が掲げられていることが書かれています。
十戒といっても、実際には9条までのようです。

私はあなたの母乳である。これ以外にあなたの家に子どもの食事はない。
もし粉ミルクのサンプルをもらったら、ゴミ箱に捨てなさい。

ゴム製であれ、シリコン製であれ、人工的な代用品は何一つ手にしてはならない。哺乳瓶、ゴム製の乳首、おしゃぶりを使ってはならない。
もし、赤ちゃんが何かをしゃぶりたそうにしていたら、あなたの乳房を差し出しなさい。

妊娠後期になったらラ・レーチェ・リーグに連絡をとり、会合に出席しなさい。あなたが母乳育児をする女性に会ったことがないのなら、なおさらである。
多くの女性は自分の母親が授乳するところを見たことがない。母乳育児は本を読むだけでは伝達できない芸術なのである。

出産したらすぐ周りには母乳育児のプロしか寄せ付けないようにしなさい。
看護師や小児科医が母乳育児を推奨する人物か確認しなさい。

あきらめてはならない。
2日たっても、2週間たっても2ヶ月たってもあきらめてはならない。もし乳首が痛くなったら、出血や裂傷を引き起こす前に助けを求めなさい。

あなたには母乳がでるわけがない、あるいは母乳をまだあげているのか、まだあげるのか、まだ続けるのかといってくる人には耳を傾けてはならない。
哺乳瓶をすすめるあなたの母親や義母の話を聞かないこと。

自分が楽をするために離乳させてはならない。
各種研究によると、こどもは、生物学的に3歳半から7歳の間に卒乳できるようになる。

母乳育児や赤ちゃんの欲求に応じること、そして授乳期間が長引くことについて、決して異論を求めてはならない。
医師、家族などにも例外にしてはならない。

口を閉ざしてはならない。
いつ、どこでも、母乳を与える女性を見かけたら支持すること。一声かけるだけでも、ほほえみかけるだけでもいい。その女性がラ・レーチェ・リーグのグループと確実に連絡がとれるようにすること。
公共の場で母乳を与えているときに誰かに少しでも嫌味を言われたら、その機会を利用してそうした人々を教育すること。


<母乳哺育支援団体の限界>


私自身がラ・レーチェ・リーグの本から参考になる知識を得ることができたように、ラ・レーチェ・リーグに出会って励まされたり、母乳を続けることができたお母さんたちもたくさんいらっしゃることでしょう。
あるいは日本でも、桶谷式など数々の母乳相談があり、適切なアドバイスで母乳を続けることができたお母さん方もたくさんいらっしゃると思います。
その体験を否定するものではありません。


ただし、そういう場所に集う人のほとんどがうまくいった体験の人たちであることを、母乳支援をしている側は自らの限界として認識する必要があるのではないかと思います。


わが子の為にミルクが必要ということを理解し選択した母親は、そういう場所にはあえて出向くことも近づくこともないことでしょう。


実際に赤ちゃんを育て家事をする時に、帰宅の遅い夫を始め誰の手も借りることができないお母さんたちは、ミルクを足さないとやっていけないと思うことでしょう。
中には2〜3ヵ月本当によく泣いて、泣くというよりも泣き叫ぶような赤ちゃんやずっと抱っこ、あるいは一日中おっぱいを吸わせていなければならないようなエネルギッシュな赤ちゃんが我が家にやってくることもあります。
お母さん一人しかいないのに、ずっとその赤ちゃんに向き合わなければいけない方もいます。
初めての育児で、あるいは上の子の世話もしながら、体力的に限界を感じている方もいます。
経済的、あるいは職場の事情で早く仕事復帰しなければならないお母さんもいます。


中には母乳外来や母乳相談でアドバイスを受けていろいろとやってみたけれどやはり赤ちゃんの体重が増えない、あるいは授乳中の乳頭痛が続くなど、お母さんの期待する方向には改善せずにミルクが増えていく方もいます。
そういう方々は、「自分のやり方が悪かった」「自分の努力が足りなかった」と敗北感を気持ちのどこかに抱えながら、そっと母乳相談から去っていくことでしょう。


母乳相談に通い続け、母乳を続けていくためには時間的余裕(周囲のサポートがあるか)、経済的余裕、そして体力的余裕が必要なのです。
そのどれかが不足している状況では、母乳相談や母乳支援に近づくことさえないお母さんたちがたくさんいるのです。


それは日本だけでなく、世界中のお母さんたちが同じなのだと思います。


「母親の英知」の中で、ラファエル氏は書いています。

どちらかといえば、私たちは哺育行動の展望を語る時はもっと状況に重点をおかねばならないと思います。母親のライフ・スタイル、男性の経済的地位、母親の支援ネットワーク、母親や赤ちゃんの口に入る食糧の量、入手できる度合いなどの重要な変数に注目しなければならないのです。

赤ちゃんだけでなく、母親の健康と福祉を守るための方法、政策に対する全体的な見解を求めます。
貧しい母親の場合、過渡期にある女性の場合、働く女性、信念をもった女性の場合など現実にもとづいた対応策でなければ無意味です。

「過渡期」というのは、この本の内容から「伝統的社会から西欧的社会への過渡期にある地域の女性」という意味かと思います。

女性は自分の子どもの哺育をどうするかについて自分で選ぶ権利があり、皆自分に合った賢い選択をするでしょう。
これを無視して私たちの思い込みを押し付けるという間違いをすると赤ちゃんの命さえあやうくなりかねません。


<強制と罪の意識は相互的なもの>


またラファエル氏は以下のようにも書いています。

数年前、母乳が流行らない時は母乳派は冷たくあしらわれました。
逆に今は、流行だから母親は子どもに母乳を飲ませる義務があると説いてまわる騒々しいキャンペーンには用心したほうが良いのです。
いかなる布告も断定もまたそれを出す人々も、実際のこどもを育てる現場からはほど遠いところにいるのだから、哺育をどうするかといったきわめて個人的な決定に口をはさむ資格などないはずです。

強制と罪の意識は相互的なもので、強制すると母子関係にもうひとつストレスを加えることになります。


信念を「科学的根拠」で補強した正義は、それを実行できない母親に対してますます不寛容になりつつあると思います。
そしてその不寛容は、母親同士の間に目に見えない無意味な対立をうみだしてしまったのではないかと思うこの頃です。
「完全母乳」の言葉の裏にある、「不完全性」を罪悪感とともに感じている母親をうみだしたことによって。




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