観たいと思っていたのに映画館に行けなかった「テルマエロマエ」が先日もうテレビで放送されていたので、喜々として録画しました。
阿部寛さん、いいですねぇ!
って、今日は沐浴の続きでした。
古代ローマ人でなくても、日本の家庭のお風呂や銭湯あるいは温泉施設などの機能の充実ぶりには驚かされるのではないかと思います。
「体の一部あるいはすべてを清める行為」
たかが沐浴されど沐浴というのが日本なのかもしれません。
<シャワーはいつ頃から?>
日本でシャワーが広まったのはいつごろでしょうか?
夏のプールの授業後にあびる水のシャワーではなく、もちろんお湯の出るシャワーです。
やはり広い世の中、同じようなことが気になりすでに調べている人たちもいるようです。
「人力検索はてな」に「シャワーヘッドの歴史」についての質問と回答がありました。
19世紀にイギリスでシャワーが発明されて世界中に広まったそうです。
アメリカでは1960年代にシャワーが普及、同じころ日本にも入ったようですがまだ高級なホテルなど限られた施設のようです。
私の記憶ですが、1980年代は寮もまだ共同浴場が主流で、身体を洗う場所もお湯と水を混ぜて洗面器にいれて「かける」が一般的だったように記憶しています。
1980年代終わりごろから賃貸住宅に住むようになりましたが、その頃から独身者向けに「ユニットバス」がぼちぼちと出始めたように思います。
湯船にお湯をためるよりはシャワーを浴びた方が準備も片づけもいらないし経済的、という理由ではなかったかと思います。
あの辺りから、お風呂場にシャワーヘッドのついた装備が一般的になっていったような記憶です。
<水のシャワー>
私自身は湯船につかるのはのぼせそうなのでどちらかというと苦手で、シャワーがあれば十分という感じです。
ですから積極的に温泉旅行に行こうと思わないし、旅先に湯船がなくても全然平気です。
でもさすがに、水のシャワーには驚きました。
1980年代前半、日本にはまだシャワーの設備も一般的ではない時期でしたが、東南アジアに医療援助で行った時のことです。
いきなり難民キャンプに行くのではなく、到着して数日は首都にあるホテルに宿泊先が準備されていて、そこに宿泊しながらオリエンテーションを受けました。
そこそこのホテルでしたからリッチな気分になり、まずはシャワーで汗を流そうとしたところ、どこをどういじっても生ぬるいお湯しかでませんでした。
どちらかというと水に近い温度の。
当時の旅行ガイドブックは東南アジアを書いたもの自体が少なく、現地のお風呂事情などわからないまま出発しました。
きっとこれは故障しているのだと思いましたが、まだ英語で交渉する自信がなかったのでその水のようなシャワーで我慢したのでした。
そしていよいよ難民キャンプへ。
スタッフハウスは設備が整っていて、海外医療援助に来たのに贅沢していいのかなと心苦しくなるほどでした。
シャワーの設備もありました。
でも、水だけ出るシャワーでした。
熱帯の国ですから、皆、水で体を清めている。そんな当たり前のことに思い至らないまま、私は日本を飛び出していったのでした。
赴任したのは乾季で最も熱い時期でしたから、じきに私も水のシャワーに慣れました。
ところが雨季が来て、雨季の終わりごろから熱帯地方でも気温が下がり始めます。
下がると言っても30度前後はあるのですが、体感温度はもっと低く感じます。
現地の人たちが、毛糸の帽子をかぶったり皮のジャンパーを着るのです。
「寒い」と言って。
その時期になるとスタッフハウスでは朝、シャワーの時間になると悲鳴が聞かれるようになりました。
私はそこまで寒くは感じないのですが、現地の人には水シャワーはまるで滝修行の様相でした。
普段は水のシャワーでも気にならなかったのですが、たまの休暇で首都に戻るときには「お湯のシャワーが出る」宿泊先を選ぶことがちょっとした贅沢になりました。
さがせばホテルでなくても、ゲストハウスのような安い宿でもお湯の出るところはありました。
到着してまずはお湯のシャワーへ。
「ふあーっ」とおやじのような声が出るものです。
そういう国では、赤ちゃんの沐浴も水です。
村へ行くと、井戸やポンプの周りで汲んだばかりの水を入れたたらいの中で、赤ちゃんが気持ち良さそうに沐浴をしてもらっている光景をよく見ます。
どうでもいいような水の話、もう少し続きます。