沐浴のあれこれ 3 <天然のウォッシュレット>

難民キャンプのスタッフハウスについて水のシャワーに驚きましたが、その前に、到着してすぐに困惑したのがトイレでした。


トイレットペーパーがありません。
トイレットペーパーホルダーさえついていません。


便器の横に大きめのバケツがあり、溜めてある水に手桶が浮かんでいます。


トイレのあと右手に持った手桶で水をかけ、左手で洗う。


スタッフから使い方を教わった時に、わぁーなんて大変なところに来てしまったのかと思いました。


恐る恐る試してみました。
水の冷たさは思ったほど気になりませんでしたが、洗ったあと乾燥させるものがないままですから、なんとなく湿っています。


でも、さすがに暑い国なので、湿った下着もあっという間に乾燥していきます。


小の場合はそれでもいいのですが、大はどうするのでしょうか?


自分専用のトイレットペーパーを持参してトイレに行く人もいれば、大のほうも素手で洗う人もいるようでした。


さすがに大のほうは抵抗があったので私はマイトイレットペーパー持参派でしたが、案外早く、この水で洗うことに慣れていきました。


1980年代半ば、まだ日本でもウォッシュレットは一般的ではなかった時代です。
たまに帰国して日本のトイレに入ると、紙で拭くだけではなんだかすっきりせず、あの「水で洗う」方法にすっかりなじんでいる自分に驚きました。


水で洗うことが一般的だった理由のひとつとして、水洗トイレでも日本のように多量の水を使えない事情があるのではないかと思います。


開発途上国でも当時、都市や地方都市では水洗トイレが広く普及していましたが、下水が完備された上での水洗トイレではなく、集合住宅以外では各家庭のトイレは地面で直接排泄物が分解処理されるタイプでした。


ですから多量の水で流すのではなく、手桶に1〜2杯程度で流すようにしているようです。
そのために使用後のトイレットペーパーは水に流さず備え付けのゴミ箱に捨てるようになっているのですが、これも最初の頃はちょっと抵抗がありました。



それでも案外、現地のトイレマナーになじむことができたので、私は自分の適応力に自信をもつことができたのでした。


その地域のトイレ文化に適応できればあとは怖いものは何もない、と確信しました。


その後、辺境の村々や少数民族の村で宿泊するようになりましたが、もうどこでも大丈夫です。


トイレがない家では、トイレになる場所を探せばよいだけです。
だんだん、そういう場所をすぐに見つけられるようになりました。
家から少し離れた草むらへ行き、他の人がしたばかりと思われる場所を避ける。
その能力を身につければ大丈夫です。


トイレットペーパーがなくても大丈夫。
川や泉がある場所では水を汲む容器を片手に、水がないところではちょっと大きめの葉っぱを捜して持参する。


人の目をさえぎる囲いがなくても大丈夫。
現地の女性が身につけている巻きスカートをして、さりげなくしゃがみこめば大丈夫。
目の前に広がる美しい海や風景を眺めながら、なんて豊かな時間でしょうか。


私はどこに行ってもトイレには平気だと思ったのですが、世界はやはり広いですね。
椎名誠氏の本に書かれていた世界のトイレ事情を読んで、これだけは勘弁と思ったのが中国の扉のない公衆トイレでした。


衆人の目の前で・・・だけは勘弁です。
まぁ、あれはかなり政治的な背景があったそうですが。


あれ?沐浴のテーマでしたね。
お尻をきれいにするのも、沐浴のひとつということで。