産科診療所から 5 <医療施設の歴史>

1980年代に東南アジアのある国へ「海外医療援助」へと意気揚々と出かけた私を打ちのめしたのが、現地での日本人に対する戦争責任への厳しい視線でした。


当時の日本では戦争はまだまだ語り継がれていましたが、戦争という状態がいかに大変かというどちらかというと被害者の視点でしたし、もう「戦後30年以上も経っている」という雰囲気になりつつありました。


1970年代から80年代にかけて東南アジアに出かける若い人たちが増えて私と同じような体験をして、あの戦争を学校で学んでいなかったことに疑問を持った人も多かったのではないかと思います。



中学・高校の歴史の授業は、縄文時代からていねいに始りました。
江戸時代から明治維新あたりが歴史の授業のクライマックスで、昭和の初めあたりの現代史の入り口までいくと「時間切れ」になって終わったように記憶しています。


東南アジアに行って、「あなたのお祖父さん、お父さんはあの戦争の時に何をしていたか。私の○○は日本兵に・・・」と多くの人から質問された時には、私も「なぜ日本の教育は現代史から教えてくれなかったのか」と当時は思いました。


最近は、戦後わずか30年ほどでは歴史を検証してまとめるだけの時間の長さではなかったこともひとつの理由だったかもしれないと思うようになりました。。


<日本の現代医療の歴史は始ったばかり>


前置きが長くなりましたが医療に関しても同じで、1970年代終わり頃に看護学校で医療史と看護史という歴史の授業を受けましたが、戦後の医療施設の変遷については学んだかどうかの記憶さえありません。


でもよく考えれば、1961(昭和36)年に国民皆保険になってからまだ20年もたっていないのですから、「医療の現代史」として書ける時期ではなかったことでしょう。
むしろ最近、卒業した年代の方たちの方が、国民皆保険制度と医療施設の充足について「歴史」として学んでいらっしゃるのかもしれません。


何にしても、半世紀ぐらいしてようやく「歴史」として語る体裁ができるのかもしれません。


厚生労働省から2007(平成19)年に出された「厚生労働白書 医療構造改革の目指すもの」の第一章に「我が国の保健医療をめぐるこれまでの軌跡」があります。


50代の私でさえも生まれた時から医療が身近にあって当たり前のものという感覚がありますが、これを読むと本当にわずか半世紀のことなのだと改めて思います。


<「これまでの医療体制の歩み」より>


まず「公的病院整備・充実」によって医療基盤の整備が始ります。

1945(昭和20)年に占領軍から旧日本軍の陸海軍病院等の返還を受け、国立病院・国立療養所として国民一般に開放することとした。これは医療機関の不足を補うという点で重要な意味を持っていた。

wikipedia「国立病院」に詳細が書かれています。


その後、「国庫補助の対象が日本赤十字社、厚生連(厚生農業協同組合連合)、済生会といった他の公的医療機関にも拡大」されて、病院の整備が進んでいきます。


次に1955(昭和30)年からの10年間で民間病院が充実していった経緯が白書の5ページ目に書かれています。
「さらに、国民皆保険制度の発足に併せ、高まる医療需要に見合う医療提供が行われるよう、医療機関の適正配置とその診療機能の充実強化が必要とされた」時代、それが私がちょうど生まれた頃に重なります。


現在20代、30代ぐらいの世代には、50年前なんて大昔と感じることでしょう。
1980年代に20代だった私が第二次大戦を大昔のことのように感じたように。


半世紀。
自分が生きてきた時間の長さと反対にあっという間だったという気持ちが混ざった不思議な感覚と、歴史を書けそうで書けない、そんな時間の長さであることにちょっとめまいがしています。



<おまけ>


上記で紹介した「我が国の保健医療をめぐるこれまでの軌跡」の15ページ目に、「国民階保険制度の意義」というコラムがあります。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツと比較し、それぞれの制度の問題点も書かれていて興味深いものです。


また、平成19年度版「厚生労働白書 医療構造改革の目指すもの」の全文はこちらから読めます。




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