食べるということ 15 <記憶や思い出が味覚の一部になる>

近くにベトナム料理のお店を見つけたので行ってみました。
いつものエスニック料理仲間とは日程が合わなかったので、一人で乗り込みました。


カウンターに座ってまずは生ビールと揚げ春巻き、っておやじっぽいですね。
女性が一人で飲んで食べても、「女のくせに」って言われなくなって本当にうれしい時代になりました。
これは90年代の「親父ギャル」のおかげでしょうか。


さて、お店は少し薄暗く、青いネオンの飾りがあって、ベトナムの音楽がかかっていました。
ちょっと演歌に似ています。
一瞬にして、30年ほど前の難民キャンプにいるかのような気持ちになったのでした。


難民キャンプ内では、難民の人たちがけっこう自由に商売をしていました。
朝食と昼食だけでなく、夜もアルコールと料理を出す屋台があちこちにあって、時々そこに飲みに行っていました。
当時の、日本国内の刑務所のように厳しい難民キャンプの管理とは大違いでした。
生きるために何が必要なのか、何が優先されるのか、難民になった時のその人の尊厳とは何なのか。
そういうことへの配慮を感じる、当時の国連高等難民弁務官の対応でした。
そうですよね、家族同然のへびに対してもIDを発行してくれるぐらいなのですから。



あまり明るくない電球と青やピンクのネオン、そして演歌のようなベトナムの歌。
そして故郷の食べもの。


その後、平和になったベトナム国内の映像でも同じ様なお店が映し出されていて、ああ、変わらずにいるのだなあと、まるで自分もベトナムに行ったことがあるような気持ちになったのでした。
こちらの記事に書いたようにボートピープルとして難民キャンプに命からがらたどり着く事ができて、これから全く知らない第三国への定住と、波乱の人生の中で、故郷で食べていた物がどれだけ心を慰めてくれていたことでしょうか。


当時、20代半ばの私は理解しているようで、やはり表面的な理解だったのだろうなと思います。


そのお店のカウンターに座ってベトナムの雰囲気に包まれたとたん、私はなんだかこみ上げてくるものがあってあわてて生ビールを飲んだのでした。


私がベトナム料理を食べている時には、この思い出をも味わっているのだと。




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